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오카쿠라 텐신(岡倉天心)과 일본미술사의 성립

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岡倉天心と日本美術史の成立

김용철

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초록

일본어

近代日本の国民国家形成期に新しく日本美術史が成立し、その成立には岡倉天 心が中心的な役割を果たした。そのため天心の活動を中心に日本美術史の成立過 程を考察すること自体が日本の国民国家形成期に美術史の役割を理解する上でも肝 心な側面を明らかにしてくれる。 日本美術史が体系化される頃、その前提といえる美術に対する認識は国家主義 と密接な関係をもっていた。天心が『国華』の創刊辞に"美術は国の精華なり"と いったのもその一例であり、同じ認識は明治初期の洋画家である高橋由一の場合にも 確認することができる。天心が日本美術史を成立させる過程で江戸時代までの畵史 や畵傳が参考になり、西洋美術史についての知識が刺戟剤になったことが想像される が、それに加え広範な実物の調査が行われた。特に1888年以後九鬼隆一が企画し 行った調査では21万点を越える膨大な量が調査され、日本美術史の成立のみなら ず、文化財保存? 槨역?897年制定された古社寺保存法、美術史編纂にも大事な 基礎になった。さらに、天心の調査は中国にまで至っていた。日本美術史のもと探し の一環といえる中国現地調査は1893年7月帝国博物館の出張命令で始まり5ヶ月に 及ぶ調査では竜門石窟調査などの学術的成果を上げた。帰国したあと天心が書い た「支那南北ノ區別」や「支那の美術」などは奈良時代の美術に影響を与えた中 国の漢、魏、晋、そして唐の時代の美術を調査した内容とともに中国の河北と江南地 域の地理的環境、文化の違いなど述べるとともに図式的認識も現している。 天心が調査した資料が仏教寺院の所蔵品や建築、石窟などであったため今日の 中国美術史に関する知識とは隔たりがあるものの、日本古代仏教美術が中国の影響 を受けたことを直接確認した点は意義深い。また、そこには日本の歴史と伝統文化の 中で内在化していた中国の文化遺産を対象化した点も指摘できる。 このような過程を経て成立した近代日本の日本美術史は国家と美術の密接な関連の上で造形物を通して の過去再構成作業の結果であった。それは当時日本人の文 化的identityの確立に大事な資産になり、博物館や出版物などで文化的統合を果た すにも貢献したのみならず、西洋に対する造形的対応において伝統というものが重要な 手段になれることを示した。つまり、当代の美術分野での実践とも強く結びづけられて いた。 ところが、天心が中心になった日本美術史の成立を理解するに当たっては他の分 野とは異なった状況が考慮されなければならない。つまり、ジャポニズムで見るように西 洋という‘強い他者’の目が背景にあり、西洋人なるフェノロサの活動によってその基盤 が与えられたことである。高木博志氏はこれを近代日本で日本美術史は欧米に対す る自画像として描かれたと述べたことがある。 第二に、考えるべき点は天心の態度である。彼の態度は欧米に広まったジャポニズ ム迎合する一方で、より主体的面を含めている。東洋の歴史と文化についての西洋 人の物足りない理解を利用し東洋的神秘主義に繋がりうる大事な試みを見せている。 『東洋の理想』に出ているように、その中心が日本であることはいうまでもない。結局 近代日本で天心の主導で行われた日本美術史の成立は西洋に対する対応という点 では二つの側面があり、すでに文明国として日本にとっては‘強い他者’なる西洋に対 してその見方を受け入れる一方で、それを主導的に導こうとする試みまでを含めてい る。そのため天心の態度には‘妥協、そして牽引’という両面が読み取れる。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 일본미술사 체계화의 전제 - ‘미술은 나라의 정화다’ -
 Ⅲ. 일본미술사 체계화를 위한 기초작업
 Ⅳ. 강의 「日本美術史」의 구성과 내용
 Ⅴ. 일본미술사 내용의 다양한 활용
 Ⅵ. 맺음말
 日文要旨

저자정보

  • 김용철 성신여자대학교 대학원 미술사학과 교수

참고문헌

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