원문정보
초록
일본어
本論は、『肅宗實錄』肅宗22(1696)年条に記録されている安龍福の陳述を検討したものである。その内容が真実か否かをめぐって多くの議論がなされてきた。安龍福を否定する日本側ではその内容を否定している。特に安龍福が鬱陵島と子山島で会った日本の漁師に両島が朝鮮領であると主張し、関白からその事実を認めた書契をもらったこと、それを対馬藩に奪われたことなどは安龍福の虚言であるとし、事実ではないとされている。しかし、安龍福が江戸に行き書契をもっらたことは『肅宗實錄だけではなく、日本側の記録にも記されている事実である。安龍福を連れ去った大谷家の『竹島渡海由来記抜書控などがそれである。関白の書契の存在を推定できる記録は『抜書控の「相濟順々御贈歸」という部分である。これは送還する前の記録で、調査後に順序に沿って(順々)何かを贈り(贈)、帰らせた(歸)という意味である。当時、朝鮮と日本は漂流民に物品を下賜するのが慣例となっていた。この「御贈」は関白の書契を含めた物品の下賜とみなけらばならない。それは1666年に釜山に漂着した日本人を送還する朝鮮側の対応を通じて立証できる。「則朝鮮國所々ニ而御馳走 順々ニ送歸シ相成事具別有之略ス尤朝鮮國王ヨリ船頭水主江餞別目錄二通有之 于今致所持」との記録は、送還時に朝鮮國王が物品と餞別目録を下賜したとの内容で、「順々ニ送歸シ」は『抜書控の「順々御贈歸」と対応する。『伯耆志も「命有て藤兵衛異人を具して、本府に至る、番士加納氏尾関氏守護たり、異人江戶に召されて本土に送らる。後彼國より竹島は朝鮮の地たるよし頻に言上に及ぶ」のように、江戸にいった後に朝鮮で竹島の領有について頻繁に言及するようになったと安龍福の江戸行きについて触れている。『竹島記事』にも江戸に行って鬱陵島の領有権を主張したことと、そこに渡海した日本人が処罰されたことが記録されている。このような日本側の記録からも安龍福の主張は事実だったとみなければならない。
목차
2. 관백의 서계
3. 渡海漁民과 鳥取藩
4. 막부의 질문
5. 쓰시마번과 송환
6. 결론
[參考文獻]
<要旨>