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【日本學】

18세기말 오키도의 죽도전승 -『長生竹島記』의 오키전문(伝聞)을 중심으로

원문정보

十八世紀末 隱岐島の竹島傳承 -『長生竹島記』の隠岐伝聞を中心に

18세기말 오키도의 죽도전승 -『장생죽도기』의 오키전문(伝聞)을 중심으로

권정

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초록

영어

The report of Juddo on Oki island in 18th century 󰡔Cyoseitakesimaki󰡕was published by Yada Takamasa, who was a Shinto priest of Unyou temple. He heared about fishery experiment in Juddo from Tubaki Gizaemon who was also worked in Unyou temple as a fisherman. But the experience story is not also Tubaki's. Tubaki heared the story from Itaya Nanibei. After all Yada edited hearsay story about fishery experiment in Juddo. Because of the characteristic of hearsay, This book distorted the facts by Yada's intention. But we can understand of the recognition about Juddo in that centry by study of the reason why Yada distorted the fact. First, About Tubaki made a voyage to Juddo or not. We can consider the possibility by the same expression he used in the description about the voyage to the Oki and to the Juddo. He says like that the voyage was so hard but the island was a good fishing banks. But that times, the voyage to the Juddo was already prohibited. So Yada could not recognize the voyage openly. In introduction, he says "It is a very shameful thing to write about the voyage to the Juddo." But on the other hand, he was disappointed about the forbidden. In past time, Japanese fisherman made a fortune through the fishery at the Juddo island. This regret was appeared well in this phrase "The Juddo still invites us, it will be forever." Yada published this book based on the desire, Someday the treasure islands (Takesima /Matusima) will be Japanese islands again.

일본어

『長生竹島記』は出雲から隠岐の福浦に出漁する椿義左衛門が漁夫の板屋何兵衛から聞いた経験談を、矢田高當が再整理したものである。本論ではその中でも第一章に焦点を当て考察してみた。本書の第一章は『長生竹島記』が何に基づいて書かれたのかを説明している。伝聞をもとに第三者が編纂したという本書の特徴から推測されるように、本書には編者の意図によって歪曲された部分がある。しかし、そのような歪曲がなされた理由を明らかにすることによって、当時の時代背景と竹島に対する認識を理解することができる。まず椿義左衛門が竹島に渡海したか如何かの問題である。これは椿義左衛門が隠岐への渡海を「風波など問題にもならぬ程、比類のない漁場」と描写した部分が、序文で竹島の特徴を「広々とした比類のない漁場」と表現した部分と一致しているところから、椿義左衛門の竹島渡海の可能性を窺い得る。ただ当時はすでに竹島渡海が禁じられていたため、竹島渡海を公的に認めることができない状況であった。谷田は由緒深い雲陽大社の神主としてのプライドが高く、生計のためとはいえ禁じられた渡海をしていた漁夫たちを「賤しい」と表現している。序の「このような所に書き載せては恥を曝すような事ではある」という表現やはり、そのような編者の問題意識を垣間見させる。その反面、「名も千代万代を経ぬらん松島竹島と云ふ」、「古くから今に到るまで、異国からの者共がここに通うことの無い島で、また漁を行なうことの無い島であった」という序文の記述は、日本の漁夫だけに許されていた豊富な漁場を朝鮮にとられたという残念な気持を示している。その気持はいつか竹島・松島を日本の領土に取り戻したいという望みにつながり、それは「ああ、あれから幾年もの歳月が過ぎ去り、この身は老いてしまったが、なお竹島の緑は千代の寿として、今も我等を招いて居るに違いない」という表現に凝縮されている。矢田は松竹の二島を永遠の繁栄と利益を保障してくれる宝島と認識し、いつか再び日本の領土としたいという念願に基づいて本書を編纂したのである。

목차

I. 서론
 II.『장생죽도기』의 序
 III.『장생죽도기』의 목록
 IV. 오키도(隱皮島)에서 죽도도해를 전해들은 일
  1. 치욕의 기록
  2. 죽도의 가치
  3. 삼옹(三꿇)의 죽도
 V. 결론
 참고문헌
 要旨

저자정보

  • 권정 배재대학교 교수, 비교문학비교문화

참고문헌

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