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낙동강 하구의 對日 航路에 관한 일고찰

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최연주

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초록

일본어

韓半島南東部の洛東江は地理的に日本と近い距離だ. それで先史時代から両国間の交流の核心的な役割を遂行した. 両国のこのような交渉で、 両国の人だちは豊かな経験を積んだ。特に海流の特性をよく把握して、 新石器と金冠伽揶ではこれを積極的に活用した。洛東江河口はそんな海上拠点の中心航路だった。
新羅と日本の交流に対する史料が断片的なので両国間の交流推移を立体的に分析することはできないが, たいてい国家が主導した交流を中心に比較的活発に展開されていた. 唐から日本までの航路は唐→蔚山→慶州→蔚山→北九州→難波[大阪]だった。7世紀まで日本は新羅の貿易船を利用したからほとんど新羅に寄りかからければならない。日本で新羅への航路を整理して見れば 大和→瀬戸 内海→大宰府→鴻廬官→博多港→壱岐→対馬島で大韓海峡を利用して洛東江河口に至った後蔚山に行った。
一方新羅の代表的な貿易港だった蔚山港に集中された人的物的資源の分散のためにも硫酸陣は補助港湾として役目を受けたはずだ. したがって洛東江と近い所の金海, 黄山津など地域には海上交流と係わる各種施設及び基盤,海上能力たちが集積されていた. 統一新羅の首都である競走で出発して蔚山→釜山→洛東江河口→巨済島→対馬島→大宰府→大和, または新羅内陸→洛東江河口→巨済島→対馬島→大宰府→大和で繋がれている. 洛東江下流は天恵の良港にしての条件を取り揃えた。また背後の梁山, 金海などの郡県とともに内陸水路と連結された河系網を発達した。古代に洛東江河口の立地的条件が非常に優秀だったことがわかる。

목차

<要旨>
 1. 서론
 2. 7∼8세기 신라 및 일본의 교류 추이
 3. 낙동강 하구의 對日 항로
 4. 결론
 【参考文献】

저자정보

  • 최연주 동의대학교 사학과 교수

참고문헌

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