earticle

논문검색

가와바타 야스나리(川端康成)의 「이중의 실연(二重の失戀)」 고찰 - 집착에서 자기 인식으로

원문정보

川端康成の「二重の失戀」 考察 - 執着から自己認識へ -

천단강성の「이중の실련」 고찰 - 집착から자기인식へ -

김일도

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

作品「二重の失戀」を中心に、主人公<彼>が失戀の傷跡から脫するために選んだ旅、そして汽車の中で再會した戀人のはつ子をめぐって、現實での自分を凝視する姿を調べてみた。
戀は命と同じであると思う川端であっただけに、戀を失ったというのは命を失ったことにほかならないだろう。この傷は自身を救ってくれる對象の喪失を意味する。そして失戀の傷は主人公< 彼>に伝わって描き出されている。
<彼>における旅は、ただ、苦しみから離れることだけを意味するのではないだろう。 現實から離れること、言い換えれば、非現實へ入り込むことであるだろう。日常生活で、彼を迫ってくる問題を拂って、現實で自身を自由にする手段でありながら、心の傷を減らす手段が、主人公においては旅なのである。二重の失戀とは、過去の失戀に次ぎ、主人公の心に存在した幻影のはつ子が消え失せたことを意味する。どんな旅でも忘れられなかった彼女の存在が消えた瞬間、彼に再び失戀がたずねてきたのである。
汽車の中で出會ったはつ子、彼女を追っていったが、彼女の姿は見えず、影だけが彼を待っていた。󰡒Be quick as anothers may be waiting.󰡓この文章は、はつ子の幻影を心の中で大事にしながらくらしていた彼が彼女の執着から脫して、自身を發見するという点を示唆する。卽ち、現實の自身を認めて新しい自分の姿を受け入れる、救濟の一面を現わす文章として見てもいいだろう。
作品「二重の失戀」での主人公彼とはつ子との結婚は成立しなかった。だから、確かに失戀小說として見ることが可能であると思う。表面的であるにせよ內面的であるにせよ、作品に表れた主人公の失戀の關連性を中心に見る時、「二重の失戀」は<みち子もの>というジャンルの下に、位置づけが可能な作品に編み入れることができるだろう。同時に、川端文學を理解するため 基本的な要素として救濟の可能性が窺える作品である.

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 실연과 여행
 Ⅲ. 환상의 소멸 ― 이중의 실연
 Ⅳ. 현실 응시 ― 집착에서 자기 인식으로
 Ⅴ. 맺음말
 【參考文獻】
 <要旨>

저자정보

  • 김일도 한국외국어대학교 강사. 일본근대문학.

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 5,400원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.