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북원백추『백금지독악』론 - 불교수용と「ありのまま」という지표を중심に -
초록
일본어
本稿では『白金之獨樂』の詩篇を白秋と仏敎、さらには「ありのまま」という指標を中心に見てきた。白秋は前期において、西洋世紀末詩の影響を色濃く受けつつ、頹唐趣味や都會趣味の作風の詩を多く殘していた。ところが、「桐の花事件」による挫折を経て、三崎と小笠原の豊かな自然と向き合う日々の中で、仏敎的な要素を取り入れつつ、實驗的な詩作に自らの新生を託そうとした。
從來『白金之獨樂』を論じる際にキーワードとして取り上げられていた「麗らか」さに對して、本稿では「ありのまま」に重点をおき、その形象化にこの詩集の重要な特徵を見出した。都市を離れた白秋が、三崎・小笠原体驗を経て、自然を作りかえるという人爲的人工的な美意識や自意識から解放され、ありのままの自然の樣態に素朴な美を見出すあり方へと開眼していったのである。そこでは同時に、凡夫としての裸形の人間の發見がなされ、自らの苦惱を詩化しようする求道的な側面も表れていた。そこから、西洋的な視点による創造から、東洋的な精神による創造への轉回を見ていいだろう。
また、漢字片仮名混じりの形式にも、「ありのまま」につながる「素朴」さへの志向性が込められているが、一方では、そこには三崎や小笠原の自然に對して、前期から引き継がれる異國情緖的な感性も働いているようにも思える。つまり、その光景を「內なる異國」と見て特殊化し、効果的に表象する手段として、漢字片仮名混じりの意図があったようにも感じられる。
なお、次作『水墨集』以降においても、「ありのまま」という指標は老子などの東洋思想と連動しながら白秋の言說に度々表れる重要なキーワードとして注目できる。
목차
Ⅱ. 素地と環境-三崎・小笠原体驗
Ⅲ. 白秋と仏敎
Ⅳ. 仏敎と「ありのまま」
Ⅴ. おわりに
【參考文獻】
<要旨>