원문정보
가와바타 야스나리(천단강성)의 「이즈에서의 귀로(이두の귀り)」 고찰-여행과 구제-
초록
일본어
川端康成の作品「伊豆の歸り」における主人公の彼が喪失感を回復するために表出した旅を通じて救濟への期待と現實への安らぎを求める姿を感情救濟という面から調べてみた。
川端康成の場合、初戀との婚約は現實においての喪失感が補償される機會として存在する。しかし、結婚約束の破棄によって、再び喪失を経驗することになる。これは自分を救ってくれる對象の喪失を意味すると思う。この現實における喪失感は「伊豆に歸り」にも主人公の<彼>を通して、妹の葬式そして失戀という姿として描かれている。
旅は挫折から離れて新しい據點を探そうとする意志から始まると云うように、主人公の彼の旅は現實から離れたところに假像を構築して美しい彼女を作り出した。そして彼の想念で、彼女に對する美しい記憶だけを殘すために旅立ったこととして現れている。言い換えれば、旅を通じて苦しみに落ち込んでいる体と心を淨化しようとする意志、すなわち感情の救濟を經驗することとして理解できるだろう。このように克服の意志として、旅を通して假像を構築して、その想念の中で彼女を設定して彼だけの
リカ子像を作り出した。けれども、過去でない現在の現實で彼女との再會により想念の彼女の像が崩壞されてしまう。これは假像から 現實への歸還を意味すると思う。そして現實への歸還は憾情の救濟という面で認識轉換の結果として現實への安住を提示しているのがわかる。
つまり、自分の存在は脫出とか逃避とかによって得ることでなく、克服を通じて得るのを示唆している。旅の日常は現實の日常において変わった姿で現れて、現實と假像とを連結する主人公の得た世界、一つの土地として象徵されている。そして主人公において認識の轉換は自分に對する認識の轉換でありながら、現實に對する認識の轉換でもある。また、これは日常において克服の原動力として作用していると言えよう。このような觀點から「伊豆の歸り」を考えてみた場合、憂鬱で感傷的な失戀小說と
して評價するよりは旅行小說としての評価も得られると思う。精神的な救濟の姿を描き出した「伊豆の踊子」と同じように明るい氣持と感情の救濟との作品として把握してもいいだろう。
목차
2. 상처의 단면-실연
3. 극복 방법의 모색-여행
4. 인식의 전환-감정의 구제
5. 맺음말
【參考文獻】
<要旨>
