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초록
일본어
日本近代詩人と韓國との關係を論じる際、その冒頭におかなければならない詩人は、いうまでもなく三木露風と朱耀翰であろう。韓國近代詩の先驅者と言われる朱耀翰は留學時代に『文藝雜誌』大正五年十月号に「五月雨の朝」を、續いての十一月号に「狂人」を投稿して、日本詩壇にデビューを飾った。その時、詩欄の選者をつとめた詩人が三木露風であった。一見して投稿者と選者との關係に見えるものの、これは日韓近代詩の成立という文學史の上で考えてみると、大きな意味あいが含まれている。というのは、日本近代詩の成立に大きく寄与した口語自由詩の先驅者の一人と、韓國近代詩を切り拓いた詩人が、密かに出會ったことを意味するからである。このことは、韓國近代詩の確立において、日本近代詩から多大な影響を受けていたことを物語る象徵的な出來事といえよう。そしてこの二人の詩人の詩文學の中での交流に注目すると、耀翰が露風の詩的情緖に深く共鳴していたのである。
まず、露風によって佳作として選定されて、揭載される幸運に惠まれた「五月雨の朝」「幼き昔」は、センチメタリズム的な傾向を呈するものである。語り手の生に對する意欲と、その內面世界で常にうごめく思い出の詩情を、自然の情景に織り込んだこの詩は、どことなく露風の初期の詩作を連想させる。とりわけ、『廢園』の百二十編の中で、「廢園」、「涸れたる噴水」の章に收められた詩編から讀みとれる明るい詩的背景の奧底に一末の悲哀を打ち込めた詩想と類似しているのである。また三木露風と耀翰
の詩想の根底には、豊かな叙情性と追憶の空間が位置している。
一方、耀翰は「日本近代詩抄」(二)の中で、露風について「近代的―という修飾語が何より先ず、氏の詩に接するときに感じられる。繊細なる情緖、敏感な感覺、古い時代から新時代へと線を畵す詩人の最も重要な要素を氏は持っているのである。」と書き記している。これは耀翰が、露風の象徵詩より、感傷的なロマンチシズムに傾倒していたことを物語る。それは「日本近代詩抄」に譯した四つの露風の詩からも見て取れる。また「去りゆく五月」からその例を見たように、あくまでも感覺によって對象を捉
え、さらに刹那の印象を大事にすることに共鳴を覺えたのである。そしてもう一つは、深い叙情性を釀し出す追憶の詩情は、どうしても叙述的な表現を多用する傾向があるが、「去りゆく五月」の例から讀みとれるように、露風はむしろ印象を隱喩的な表現へと昇華させているのである。これらの露風の抒情世界の特徵が耀翰にして「繊細なる情緖、敏感な感覺」といわしめたのではなかろうか。このように露風の追憶の詩情についての高い評価は、耀翰が露風の初期詩文學の特徵といえる<叙情の微光化> と<端正なるロマンチシズム>に强く魅了されたことを物語ることではないだろうか。
목차
Ⅱ 三木露風-추억의 서정과 미광
Ⅲ 露風와 주요한의 문학적 해후
Ⅳ 로맨티시즘의 교차
Ⅴ 미광 속의 서정
Ⅵ 종교시
Ⅶ 『창조』속의 三木露風
Ⅷ 나가며
【參考文獻】
<要旨>