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【심포지엄 특집논문】

戰前期台湾人作家の東京體驗とイメージ-1930年代張文環作品を中心に-

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전전기태만인작가の동경체험とイメージ-1930년대장문환작품を중심に-

張文薰

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초록

일본어

台湾新文學は、日本留學経驗の持つ知識人が增加した1920年代から創成された。多くの作家は当時の「國語」=「日本語」を創作の手段とした。このような植民宗主國の言語による創作活動は、日本語世代の作家たちに、上の世代や留學経驗のない作家とは異なる芸術性をもたらし、台湾新文學の性格を決定付けた。だが、彼らが植民宗主國に對して抱いた感情は複雜なものであった。例えば、彼らが描き、語った「東京」には、戰前の台湾知識人の葛藤が現れている。本稿では、東京体驗を持つ台湾人作家の
「東京語り」を檢討することにより、戰前の台湾知識人が直面した「民族」と「近代」の葛藤を明らかにした。1920年代の作品「可怕的沈黙」に現された東京は、事件や物語を産出する要素としての小說背景という機能を持たない空白の場にすぎない。1930年代に入ると、東京を語ることは豊かな意味を持つようになる。例えば「彼女は何處へ」及び「落蕾」に描かれた「東京」は、具体的な都市像が与えられていないが、主人公が置かれた「現在」の閉鎖性や後進性を照らし出すと同時に、輝かしい將來が待つ理想鄕的なイ
メージを与えられた記号として提示されていることが見て取れる。そしてむしろこの「東京」には具体的なイメージが欠如しているからこそ、讀者は作品の背後に見え隱れする「東京」に對する想像力を逞しくし、憧憬を募らせることができたとも言えよう。一方「首と体」と「父の要求」における「東京語り」は、文字化された輝かしい記憶という記号であり、それによって作者と讀者は東京体驗や心情を共有する暗黙の共同体を形成したと言える。そして1938年台湾戰前のベストセラー『可愛的仇人』の翻譯作業にお
ける舞台・東京に對する加筆ないし改編は、作家の自己存在の確認の手段であり、「東京語り」は自らの東京体驗を內在化する過程にもなりえる。「東京語り」は1920~30 年代の台湾人作家にとって、台湾島內の被植民体驗を語るほどに苦痛ではなく、むしろ彼らにとっては望ましいことであったと思われる。東京描寫が具体的であれば具体的であるほど、「東京」の持つ近代性が、作者から作品の隅々まで浸透する効果があった。つまり、彼らが語ったのは植民宗主國の首都である「帝都」東京ではなく、「モダ
ン都市」東京であったと言えよう。

목차

Ⅰ. はじめに
 Ⅱ. 鷗『可怕的沈黙』―空白の場としての東京
 Ⅲ. 希望の地としての東京
  1. 追風『彼女は何處へ』
  2. 張文環『落蕾』
 Ⅳ. 心象風景としての「東京」
  1. 巫永福『首と体』
  2. 張文環『父の要求』
 Ⅴ. 自己表出としての東京―張文環『可愛的仇人』
  1. 東京描寫の加筆
  2. 君子の人物像
  3. 張文環と朝鮮人プロレタリア作家
 Ⅵ. むすびにかえて
 【參考文獻】
 <要旨>

저자정보

  • 張文薰 장문훈. 台湾國立政治大學台湾文學硏究所助理敎授, 日本文學

참고문헌

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