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근세문학における「강호」상-상방から견た「강호」・강호から견た「강호」-
초록
일본어
18世紀末には、江戶は政治面のみならず、文化面・経濟面でも京・大坂をしのいで、唯一の巨大都市となった。その時期に至る江戶の實像を知るには、無垢な目で江戶に接した歐州人や朝鮮通信使の紀行を讀むのが簡便であるが、他方、小說をはじめとする近世文學に描かれた江戶は、作者の主觀をまじえたイメージとしての「江戶」像ではあるが、實像以上に「江戶」らしさを强調して描いているという意味で重要である。近世文學に描かれたそれらの「江戶」像は一樣ではない。江戶以外の作家が描く「江戶」と、江戶に住む作家が描く「江戶」は自ずから異なるし、また時代による変遷もある。
上方の17世紀末の作家西鶴が「日本永代藏」「万の文反古」などで描く「江戶」は、知惠・才覺によって立身出世のチャンスがある新興の都市であるが、一方、元祿前後にはすでに元手を持たない者は金をもうけにくくなっているという認識も示される。また「世間胸算用では、江戶の人間は、細かなことにこだわらず氣が大きい「大名風」の氣質だとする。18世紀後半の上田秋成の「諸道聽耳世間狙」「世間妾形氣」「書初機嫌海」「胆大小心錄」などになると、資本のない人間の江戶での成功は困難であることが强調され、また大氣で義俠心の厚かった江戶の男も、上方者と変わらなくなったという。そこには、江戶が優位となった時代における、上方の屈折した感情もうかがわれる。
一方、上方ではなく江戶で書かれた文學作品については、1770年代に「江戶っ子」と
いうことばが登場し、山東京伝の「總籬」にあるように、將軍の膝元であり、「いき」や「はり」を大事にし、金離れがよいという自己肯定的な「江戶っ子」像が描かれる。また、平賀源內の「根南志具佐」「里のをだまき評」等々にも繰り返し江戶自慢が見え、また江戶ことばが寫される。源內のような江戶生まれではない人間も、「江戶っ子」であることを自慢できるところに、江戶という都市の特性と美質があるのである。
목차
Ⅱ.西鶴の「江戶」像
Ⅲ.秋成の「江戶」像
Ⅳ.「江戶っ子」の誕生と京伝の「江戶」像
Ⅴ.源內の「江戶」像
【參考文獻】
<要旨>