earticle

논문검색

가와바타 야스나리 「이즈의 무희」론

원문정보

김순희

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

川端康成の「伊豆の踊子」を論じる時、必ず言及されるのが物語に表れている「孤児根性」である。周知のように、川端は十六歳になるまでに父母、祖父母、姉までをも肉親達を全部失っていた。このことが作品にも投影されているとして、作家の伝記的な事実から作品を読み解こうとするのが主流であった。さらに、川端自身の伊豆への旅行体験があるがために<私小説>に近いものとして先行研究が行われていたのも事実であった。このような研究状況に疑問を抱いていた近藤裕子は、昭和五十五年「󰡔伊豆の踊子󰡕論」を三回に分けて次のように論じた。(上)では研究史批判を、「(中)における作品論を経て」、(下)に至って「今後の課題とそれに対するアプローチの方法」論を提示したのである。この論をきっかけとして、「語り」の構造に注目することになった。以後平成に入ってからは、上田渡、原善、田村充正、石川則夫らによって<恋愛物語>.<浄化物語>としての「伊豆の踊子」の読みのコードが解体される段階まで来ていた。
 筆者は「伊豆の踊子」が一人称回想小説であることと伊豆旅行体験を念頭において、語る現在における「私」の<記憶>に注目し、語りの構造から論を分析した。語る現在においても鮮明に覚えている「船室」の「真暗ななか」での「生魚と潮の匂ひ」、「少年の体温の温まり」、大量の「涙」が「何も残らないやうな甘い快さ」として「私」に蘇ることで、「伊豆」という場所と共に「踊子」への思いまでが復活して来たのである。筆者は作品「伊豆の踊子」には二つの物語があると思って、主人公「私」の物語を<恋愛の物語>とし、語り手「私」の物語を<認識獲得の物語>と想定して論を展開してみた。その結果、踊子への淡い<恋愛の物語>と差別意識への<認識獲得 の物語>といっても、これらは「伊豆の踊子」の中でしか読みとれないものであることがわかった。つまり二つの物語が収斂される場が「伊豆の踊子」になるわけであった。「伊豆の旅」を終えた「私」を、語る「私」がまるでが「伊豆の踊子」の観客のようになって、語りながら最後の「涙」のカタルシスにまで至る過程を描いたのが「伊豆の踊子」であったのである。

목차

<要旨>
 Ⅰ. 서론
  1. 선행 연구와 연구 목적
 Ⅱ. 본론
  2.1 이야기의 구조
  2.2 「나」와 무희의 이야기
 Ⅲ. 결론
 <參考文獻>

저자정보

  • 김순희 김해대학 강사

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 원문제공기관과의 협약기간이 종료되어 열람이 제한될 수 있습니다.

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.