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장혁주의 일본어 소설에 나타난 가타카나 훈

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나공수

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초록

일본어

本稿は、張赫宙の初期短編小說に現れる日本語の問題のうち、カタカナ訓が施されているところを中
心に考察した。張の初期小說は若い時期に書かれたもので、まだ全國的な日本語敎育が行われていない
時である。張赫宙は優れた日本語の持ち主ではあったがいくつかの問題を抱えていた。
第一に、呼称問題において韓國式に助詞[イ]をそのまま表記してしまい、まるで名前そのもののよう
に表記したことである。そして, [令監], [書房]のような韓國式呼称と[兩班], [サンノム]のような韓國固有の階級と關連した內容が多く登場するが、充分な說明がなく、日本人が理解に苦しんだところもあったと思われる。
第二に、張赫宙は文學的素材を農民のような庶民を對象にするものが多く伝統的な文化要素を表記し
ている。韓國的な要素には注を付けて親切に說明することや日本語にふさわしい訓を付けるべきである
が、はたして日本人がたやすく解したのか疑問である。特に衣食住に集中する現象が多いが、惡口と關
連した內容、擬聲語・擬態語のものなどもある。
第三に、日本人が見て訓を付けなくても無難に解釋可能にもかかわらず、韓國語の訓をつけて紛らわ
しくしたことである。しかし、後半の作品にいくにつれ蛇足の訓はなくなる傾向がある。
第四に、第三と似ている現象ではあるが、日本語の會話文をそのままおいても構わないのだが、ここ
に韓國語の訓を付けてやはり散漫にしたことである。この場合は『餓鬼道』に集中する傾向があるが、『迫田農場』と『追はれる人々』に至り消えていく。
このように、初期作品には多くの問題を抱えていたのだが、段々解決しようとする努力も見られる。白川は「外國人の文が却って新鮮に見えることがなきにしもあらず」とか、「日本讀者等に韓國の文物や
風習を充分に伝えることが出來ず、あせりをしたようだ。そうでないと日本語の實力の不足を埋める努
力或は日本語の語感に滿足できず、韓國語の語感を生かしたいという張赫宙の意図を見ることができる」と定義している。いずれにせよ、どちらも解釋は可能であるが、日本語の訓のことを振り返ってみれば、的確な日本語の實力を備えていなかったし、韓國的な內容を書いたあまり、熟練していない日本語が頻繁に出現していた。このように、韓國人の初期の日本語小說には日本語の表現に問題があったことが分かった。

목차

<要旨>
 1. 들어가며
 2. 호칭 문제
 3. 한국적인 문화의 일어 표현
 4. 일본인이 보아서 필요 없다고 생각되는 훈
 5. 끝으로
 <參考文獻>

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  • 나공수

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