초록
한국어
북규슈의 해안도서는 예로부터 우리나라와의 접촉이 많았다. 백촌강 전투 패배 후 야마토정권은 당, 신라 연합군의 일본침공에 대비하기 위하여 기타규슈를 중심으로 한 방위강화가 절실해 지고 이러한 대비와 조치로써 택해진 곳이 쓰시마와 이키로써 그 위치상 필연적인 그리고 운명적인 전쟁과 분쟁의 산실이 되었다. 츠쿠시는 당시 규슈를 지칭하고 있었는데 규슈를 총괄 지휘하던 다자이후가 설치되어 있던 곳이다.
문학적으로 보면 만요슈에 츠쿠시, 쓰시마, 이키등 북규슈와 관련하여 관동 지방에서 징집된 병사의 노래가 후반부에 많이 실려 있다. 한편 츠쿠시가 일본왕조문학 최고작품인 겐지모노가타리에 등장한다.
주인공 겐지는 츠쿠시에서 성장한 짧고도 안타까운 인연을 맺은 유가오의 딸타마카츠라를 각별히 생각한다. 츠쿠시는 타마카츠라를 통해 운명의 땅, 도피의 땅에서 성장의 땅, 희망의 땅으로 도약되고 있다. 그리고 그 곳에서 예쁘게 성장하여 당시의 왕조의 중심세계로 신분이 향상됨으로써 츠쿠시는 성장지로서의 포용력을 보여주고 있다.
일본어
北九州の海岸島嶼は古代から韓国との交流が盛んであったが中でも両者を繋ぐ通路として一層密接な関係を維持してきた 対馬壱岐 筑紫の地が担ってきた地理的役割や位相について万葉集源氏物語 などの古代文学を通して探っていく古代において権力層は西に広が る九州地域に対しては東の東国とは比べられないほどの関心を寄せ この地に対し畿内と同一水準の知識を得ていたそれは白村江の敗戦 以後大和政権が唐新羅連合軍の日本への侵攻を恐れ防衛強化の必 要上ここに様々な防備や措置を取らざえるを得なくなったことによ るこのような歴史的地理的条件により対策と措置の地として選ば れたのが対馬壱岐でありここが必然的運命的に戦争と紛争の地と なったことをも意味している 筑紫とは現在の九州を指しこの地を総括指揮した大宰府が設置され ていたなお大宰府は九州と壱岐対馬の二島を管轄し外国からの 侵略に備えて外交の業務も担当していた 日本最古の歌集である万葉集には東国から国土防衛のため遠く壱
岐対馬などの北九州へ派遣された防人の歌が多数載せられているこ れらの作品にはその出身地である東国の方言や風習が詠みこまれ歴史 的にも貴重な資料として評価されている歌の内容は防人が家族と別れ た寂しさや残してきた家族の無事を祈る心などが主となっている採録 者の大伴家持は家族と離れて過ごす彼らに同情を寄せ忠誠を誓う作品 よりもむしろ家族を偲んで離別する痛みなどを高く評価していたらしい彼が主に感銘を受けたのは別れの悲しさであったがその舞台と
なったのが正に対馬壱岐という北九州の地域であった 源氏物語は日本の古代王朝の最盛期である平安時代の最高傑作であ る作品の主人公光源氏は優れた容貌と才能をもって天皇の息子という
最高の運命を持って生まれたここにおいて「筑紫」は彼と短く切ない
縁を結んだ恋人である夕顔の娘玉鬘が成長した処であった光源氏は玉
鬘を心から愛でその世話をしていくここでの「筑紫」とはその地にお
いて美しく育ち王朝という中心的世界に身分的に向上した玉鬘の運命
を通して逃避の地から成長の地希望の地へと変わっていったのであ
るこのように北九州の対馬壱岐筑紫は奈良時代までは多くの
侵略を受け防備の地域として受難を受けた地として描かれているので
あるが平安時代においては成長と希望の地として新たな様相を呈して
いることが古典文学を通して究明された
목차
Ⅰ. 서론
Ⅱ. 역사적으로 본 북규슈의 해안 도서
1. 쓰시마, 이키의 탄생과 역할
2. 츠쿠시의 위상
Ⅲ. 고전문학에 나타나고 있는 북규슈의 像
1. 『만요슈(万葉集)』의 「병사의 노래」를 중심으로
2. 『겐지모노가타리(源氏物語)』에 나타나고 있는츠쿠시
Ⅳ. 결론
【參考文獻】
<日文要旨>
