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초록
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『万葉集』卷二○には天平勝宝七歲(七五五)に制作されたとされる防人歌が八四首も殘されている。先行硏究者は防人歌の蒐集の意図、防人歌の詠作場所などについても考察してきたが、特に興味を示したのは防人歌の性格についてである。
現在防人歌は悲別歌として受け止められているが、それは戰後民主主義によってもたらされたものだと考えられる。しかし、 「十五年戰爭期」にはひとつの確固たる防人歌論を示している吉野裕によって、防人歌の「基本的な」性格は「言立て」と見なされた。このような二つの見方には共通したものがあった。それは防人歌が持っている樣々な性格を意識的に排除していることである。たとえば、防人歌には大和政權の强壓的な徵募を告發している歌、防人徵募に對する忌避の思想を詠んでいる歌、家族の實情を無視して徵召する現實を暴露している歌があるものの、そうした歌々について先行硏究者はあまり注意を拂っていなかった。それはなぜなのか。
防人歌の性格についての議論が主として「十五年戰爭期」と敗戰後に行われたということ、またその議論には先ほど述べたような防人歌の多樣性が排除されたことは、戰時と戰後の日本におけるアイデンティティ一の模索ㆍ構築と密接にかかわっているのではないか。特に敗戰後には戰時中に形成された伝統の解体ㆍ否定という動きが著しかったということは周知のとおりである。いいかえれば、戰後の日本には戰時中における日本(人)のアイデンティティ一を眞正面から否定することによって、新しい日本(人)のアイデンティティ一を再構築しようとする意識があった。その意識のあらわれが、戰後に行われた防人歌の性格についての再考ではないか、と考えられる。
목차
Ⅱ.사키모리노래(防人歌)에 대한 국학자의 무관심
Ⅲ. 사키모리노래의 성격 논의
Ⅳ. 사키모리노래의 성격 논의: 그 논리와 인식틀
Ⅴ. 사키모리노래의 다양한 성격
Ⅵ. 사키모리노래의 성격 논의와 그 배경
Ⅶ. 맺음말