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新羅の天下における于山國
초록
일본어
自國中心の世界觀を持とうとするのは、國家の整備期において共通してあらわれる現象である。しかし、その思想は中國の周辺國が中國との冊封關係を通じて習得したもので、自國を秩序づける際に國內に導入し適用させたものである。
特に新羅智證王の時代は、それまで一定していなかった國名を、德業が日々新しいという「新」と四方を網羅するという「羅」を用いて「新羅」と定め、また國王という尊号をはじめて制定した時代でもあり、それだけ國內が整備され自國中心の世界觀が必要とされた時代であった。
于山國の征伐もその時代像を反映したもので、北方の高句麗・濊・靺鞨・樂浪、南方の加耶、西方の百濟、そして倭を天下から除外した結果、欠落した東方を補充する存在としての于山國、これらの國があってこそ新羅を中心とする四方が完成するのである。
つまり自國を中心とする天下を完成させることを目的としたのが于山國の征伐であり、新羅はそれを通じて自國の天下を實現させたことになる。于山國の征伐は天下觀の成立がかかった問題であった。
さらに「于山國」という國名は太宗實錄や朝鮮王朝實錄に「于山・武陵」と見え、「武陵」が今の鬱陵島を「于山」が今の獨島を意味すること、また高麗史の「鬱陵島は縣の東海の中にある。新羅の時代では于山國と呼ばれ、また武陵・羽陵・于山ともいう。武陵は本は二島である。互いに遠くなく風が吹く晴れた日に見ることができる」という記事から、「于山」は鬱陵島と獨島の兩方の称号として用いられていたことが分かる。
これらの事實から、鬱陵島と獨島は同じ區域として把握しされていた可能性もあり、それは新增東國輿地勝覽の「一說于山、鬱陵本一島」という記事によって裏付けられると思われ、日本が鬱陵島と獨島を分離し獨島を日本領に含めようとする試みは意味をなさないと判斷される。これについての論証は今後の課題としたい。
목차
2. 우산국 정벌기사
3. 역사적 현실의 사방의식
4. 신라의 천하사상
5. 천하의 실현
6. 결론
【參考文獻】
<要旨>
