초록
일본어
三島の小説には緻密ですぐれた心理描写が施されており、「明らかな形」をとってあらわれている。ところが、三島が小説とは違って科白だけで進行していく戯曲という形式を通しては、何を表現していたのか。本稿は三島が求めていた「明確な形」とは、戯曲『サド侯爵夫人』にはどういうふうにあらわれているのかを考察してみた。まず、この劇の舞台となるサロンは時代の変化とルネの変貌する状況の現場として働いており、優雅な舞台装置とは相応しくない人物間の下品で醜悪な会話によって逆説のイメージが強調されている。ところが、登場人物たちが使う言葉の中には、二律背反したアンビバレントな二元の要素が含まれており、それらは対立しながらも、また新たな意味を生み出している。そしてこの戯曲が女性劇であることには注目していくべきである。六人の「女」たちが劇中に登場してこないサドをめぐってそれぞれ対立している。最後まで姿を見せないサドは、彼女たちの言説によって具象化されていく。六人の「女」たちはサド像を浮かび上がらせるための陰画としての役目にすぎないのか。『サド侯爵夫人』は登場している女性によって不在のサドが浮上してくるというよりは、不在の「男」によって「女」同士の対立が明確になってくる逆説的なものとして成り立っている。こういう『サド侯爵夫人』における逆説の含意こそ作者三島が戯曲に求めていた「明確な形」であろう。逆説の劇は、女を語ることのない女性劇として登場してこない「男」を形作っていく。つまり『サド侯爵夫人』には、作者三島の晩年における思想が貫流しているといえよう。
목차
II. 本論
1. 舞台の構造
2. 陰畵としての女たち
3. サドとルネ
4. 語葉の機能
5. 三島と [サド候爵夫人]
III. おわりに
[參考文獻]