원문정보
The Representation of Ancient Chinese by Japanese Modern Writers
초록
일본어
本稿は1910年代から1940年代まで中国に出かけた木下杢太郎、芥川龍之介、小林 秀雄を取り上げ、彼らが中国の古跡をどのように表象したのかを明らかにすることを 目的としている。木下杢太郎は1916年9月から満州の南満医学堂の教授と奉天病院皮 膚科に就任し、1920年7月の辞任するまでおよそ4年間を満州の奉天に滞在しながら中 国各地を旅行した。芥川龍之介は1921年3月下旬から7月上旬まで大阪毎日新聞の 海外視察員として上海,江南,長江,廬山,武漢,洞庭湖,長沙,大同,天津,北京などを訪問し た。なお小林秀雄は1938年3月27日から4月28日まで文藝春秋社の特派員として中国戦 線に渡って上海、杭州、南京、蘇州を見回った。以後1944年まで6回も朝鮮、満州、 中国に出かけている。 この三者は中国の古跡や名勝地を見物しているものの、一方的な他者認識だけで 中国の古跡を見物しているわけではない。木下杢太郎は中国の文化遺産を眼の前にし てエキゾチックな眼差しを向けられていたが、岡倉天心のように日本文化を中心とす る東洋を再発見する姿勢に移る。芥川龍之介は現代中国に対して不潔さなど で嫌悪感をあらわし、古跡を訪ねては近代の文明批判に一貫した。その一方では、中 国の古代遺跡から詩的感興に浸れるが、それについてはスケッチ風の記録しか残って いない。小林秀雄は中国の名勝地にわざわざ足を運んでいるにもかかわらず、異国情 趣も詩的感興も覚えていない。日本の文化遺産より退廃したものとして中国古跡を捉 える。それを廃虚の場として表象し、そこから日本の古代文化を顧み伝統と歴史 を回復する道を辿っている。近代日本の文学者に映った中国古跡は日本を再認識 させられるものであったと言えよう。
목차
1. 서론
2. 이국정서에서 문화적 고향으로 - 기노시타 모쿠타로
3. 근대 문명 비판과 고대 정취 - 아쿠타가와 류노스케
4. 퇴폐 문화에 비치는 일본 전통 - 고바야시 히데오
5. 결론
<참고문헌>