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太宰治『新釈諸国噺』試論-「女賊」

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태재치『신석제국신』시론-「여적」

어흥선

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「女賊」は西鶴の作品『新可笑記』卷五の四「腹からの女追剶」を素材として描いた作品である。原話がある以上太宰が元の話からどのような「自分の世界」を作り出したかという点に注目しながら原話との違いに重点を置いた。まず、重要な違いとして原話では「母にも勧めて」としか書かれていないのに対して、「女賊」の方では出家の覚悟を迫られた母が、「まつさきに黒髪を切り」と出家への一種の主体性を見せる点が指摘できる。ここで問題とされるべきなのは、母娘達の出家への語り手のコメントの仕方である。原話では、冒頭において、いわば諺的な俗説として「物には同気相求むる事善に在り、悪に殊更なり」と「古代の人」の言が挙げられる。が、姉妹の欲心が一挙に発心へと結びつくという話を経ることでこの俗説は最後で引っくり返される。三人の発心は俗説を越える真実のものとして描かれているのである。ところが、この原話と比べると明らかであるが、「女賊」の語り手は三人の出家によってこれまでの罪が許されることに懐疑的である。しかもその罪は「父子二代の積惡」とされ、既に亡くしている父親の悪と娘達の悪を重ねてこれらが共に母娘三人の懺悔すべき罪とされている。ここで当然生じる疑問は、娘達が何故父の罪までも引き受けねばならなかったにか、更に、その「父子二代の積惡」が問題になっているところで、敢えて触れられていない母親の存在はこれにどう関わって来るのか、ということであろう。懺悔すべき罪罪が「二代」にわたっているということが原話の方で特に触れられていない以上、この点はあくまでも作者太宰が作品に付した意味を考えさせる要素となっているはずなのである。このように結末で作者が問題としている点の違いを発端として検討してみた。その結果発心譚としての西鶴の原話における娘達の出家の真実性は、「女賊」にあっては京女の発心の欺滿性を語るために引き合いに出されたものであり、話の中心は出家そのものとは別のところにあったということである。即ち、山賊が自らの悪業を悔い懺悔する発心譚に、敢えて京女の罪への無自覚を対置させ、山賊の悪業とその罪の軽重を問うちる点で、「女賊」は太宰がこれまで他の作品でも繰り返し描いてきた本質的な<悪>の意味を、血筋と主体性の関係において明らかにしたのである。

목차

1. はじめに
 2. 原話と「女賊」との違い
  2.1 山賊の結婚まで
  2.2 東国での結婚生活から山賊の死まで
  2.3 姉妹が山賊稼業を継ぐまで
  2.4 反物をめぐる事件
  2.5 三人の発心
 3. 発心の真実
 4. おわりに
 参考文献

저자정보

  • 어흥선 경동대학교 관광학부 전임강사, 일본 근대문학전공

참고문헌

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