원문정보
초록
일본어
韓國と日本にはそれぞれの傳統道德が存在している. また兩國の傳統道德は儒敎思想を理論の基盤にしている. 儒敎思想は周知の通り, 孔子の思想を中心に人間性に內在している仁しという道德性を完成しようとする敎えてある. 仁道德性は君主にする忠道德と, 親に對する孝道德及び他人に對する恕道德で構成された構造であり, 仁道德性が內容(content)であれば忠孝恕道德は形式(form)である. 1.韓國の道德:韓國の場合, 儒敎が傳わってきたつはとても昔のことである. しかし儒敎思想が韓國の傳統道德の理論として定着したのは, 朝鮮時代に至って敎が國敎になってである. 朝鮮は君主に對して忠誠をつくす忠道德と父母に孝誠をつくす孝道德を縱的道德にし, 池人に對しては自分の望まないことは人にもしむけないこと という恕道德を橫的道德にした道德理論を組み立てたのである. 忠臣とか忠僕, 孝子とか孝子門等の言葉は, 當時の忠道德と孝道德に對する最大の評價を意味した. また, 恕道德は年寄りの人がよく實踐する道德なので, 大人氣があるという意味の`젊잖다`という言葉で高く評價されている. 特に, 恕道德は`易地思之`という言葉で實踐されている. しかし, 朝鮮の傳統道德には孝道德を何より大切にする傾向が强い. だから儒敎思想を以って以上つように道德理論を組み立てても, 孝道德を大切にする傾向が强いし, これは現在まで續いているのである. 2.日本の道德:日本も儒敎思想が朝鮮半島を通して傳えられたのは昔のことである. しかし, 儒敎思想の影響が强かってたのは戶時代である. その當時の朝鮮は, 儒敎思想に關する硏究が非常に活潑で, 李退溪等の硏究が廣く知られていた. しかし, 日本において儒敎思想が國民道德の理論として定着したのは, 何より明治維新をきってかけに, 敎育勅語が頒布され實踐された明治時代のことであった. 敎育勅語は, 神に忠誠をつくす忠道德と親に孝誠をつくす孝道德及び皆のを-つにする億兆一心の恕道德を, 臣民の道德とする天皇の言葉である. 日本神話における建國神を始め現在の天皇に至るまでの萬世一系の神に對して, 日本國民は忠道德をつくさなければならない當爲性を持つだろう. ところが, この當爲性からもう-の當爲性が生まれてくる. つまり, 神に忠道德をつくせばつくすほど國民への神の愛情を感じるし, 神の愛情を感じれば感じるほど, 國民はお互いに思いやりの心を持って, 恕道德を實踐しなければならない當爲性を持つことになる. ところが, 日本には, 旣に神に忠誠をつくす心と互いに思いやる心が傳統道德として存在していたので, 儒敎思想はこれに理論をあたえたのである. だから現在も忠道德と恕道德が强く現われている. このような韓國と日本の道德の現狀と方向を孝道德を中心に見た場合, 兩國の初中等學校の道德敎育ではどうなっているかを道德資料を參考に考察したものが本硏究の槪要であろう.