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俳諧の大衆化にともなう詩歌の變化として「雅俗」の變換をあげることができよう. 平安貴族社會以來, 和歌や連歌というのはその享有層の制限とともに, 詩材や詩想も「雅」の範疇を出ることができなかったが, 俳諧は「雅俗」の世界を自由に往來するようになり, 廣い階層の共感を呼ぶとができた. 本稿では, 蕉門俳諧において「雅俗」が一つの術語として定着していることに着眼し, 近世人による美意識の變化というものを천ってみた. その方法として蕉門の俳論に出てくる「雅俗」という用語を手掛りとして蕉門の美意識を分析した. 頻出する雅俗の用語からしてまず, 蕉門俳人たちによってその美意識の違いが確實に認識されていたことガわかる. 「俗」とは近世庶民階級の勃興による自由な作句活動を背景をにしたものであった. 貴族文學の唯美的かつ觀念的な性向と, 庶民たちの現實肯定的かつ感覺的な性向との違いからくる必然的な美意識の轉換であったのである. ところが初期俳諧における無分別な詩材と詩想の擴大は一回かぎりの笑いを誘發するだけの效果はあっても庶民の哀勸歡をくみあげることはできなかった. ここに芭蕉の「高悟歸俗」の精神が要求されたのである. 芭蕉の「高悟歸俗」, つまり`高く悟りて俗に歸る`というのは, 眞實なる感動すなわち「誠」をもって「俗」をとらえなおすべきという意味で, 芭蕉が俳諧を遊戱から脫皮させ, むしろ先行する傳統詩より發展する基盤をつくった. そして俳句が現實的な要素を深く反映しながら大衆的な傳統詩として受けつがれるようになる理論的な根據になったと言えよう. 「雅俗」というのは和歌と連歌では「雅」, 俳諧では「俗」というふうに二元論的に分類できるものではない. 詩想を解放し, それまで顧られなかった「俗」な現實から詩性を發見し, ついには「雅俗」の通念を越えて「誠」を追求することに俳諧の存在價値があるのである. そして俳諧において「雅」と「俗」というのは互いに對立する槪念ではなく,「誠」において根本は-つであったとことがわかる.
