원문정보
초록
일본어
從來, 近代日本人の朝鮮認識を究明しようとする場合, とくに明治初年においては, 明治政府の指導者にあたる木戶孝允とか西鄕隆盛らを中心にして論じられてきた. しかし, 各人各樣の民衆とか少なくとも政府の下級レべルの官僚たちの朝鮮認識については, 史料の制約もあって十分な硏究が行なわれてこなかったのは否めない. そこで本稿では, 旣存の硏究とは別なる觀点から, 外務省の下級役人として最初に朝鮮へ派遣された佐田白茅という人物を例に擧ザ, 幕末期からの彼の政治的軌跡をたどりつつ, 明治初年の對朝外交政策および征韓論形成における役割を考察してみた. その結果, 尊王攘夷派志士として, 幕末期から歪曲された朝鮮認識(外壓への對應策として, 應神天皇以來の朝貢國=朝鮮へ進出すべきだという)を有していた佐田は, 維新後にも對馬藩による對朝交涉(國交再調整作業)が暗礁に乘り上げるなかで, 外務省による對朝鮮外交·貿易一元化の一環としてまず朝鮮實情把握の任務を帶びて朝鮮に行ってきたりして, たとえ現實政治の壁に行き詰まり明治三年, 持論(卽時武力「皇使」派遣論)の政策化には至らなかったけど, 明治三年から明治九年までの對朝鮮外交を規定しうる政策の樹立(「對鮮政策三箇條」)および朝野の征韓論形成に一定の影響を及ぼしていたという結論を得ることができた.
목차
1. 머리말
2. 朝鮮에 대한 관심
3. 外務省 入省過程
4. 對馬ㆍ朝鮮 파견
5. 建白과 挫折
6. 맺음말
참고문헌
要旨
2. 朝鮮에 대한 관심
3. 外務省 入省過程
4. 對馬ㆍ朝鮮 파견
5. 建白과 挫折
6. 맺음말
참고문헌
要旨
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