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아베 코오보오(安部公房)의 「璧」에 나타난 二重像에 관한 考察

원문정보

A study of double image on 「 wall 」 by Abekobo

金蘭玲

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초록

일본어

安部公房の「壁」に表われた二重像について壁とぼくとを中心に考察してみた. ぼくの二重像の實體は名刺と名前を失ったぼくであり, 壁の二重像は物質としての壁と生活としての壁である. 名前を失った事件は, 結局何ものからも呼ばれない存在, つまり日常の存在の虛像を脫皮する行爲であるといえる. したがって, 二重像の登場は存在の本質への還元のための出發點になるのである. 二重像という非現實あるいは非實在物の登場を通じて逆說的に現實のばくのイメ-ジを追求する假說であるといえる. つまり二重像はぼくの本質の變形である. 作品の結末部にみられる變形が本質の統一體だといえば, 二重像はすでに變形の原形質を成したといえる. 本質への還元をもとめて自己外化の過程をへる二重像は正から自發的に發現される反り構圖で對立する. 南極と北極との關係のように對立關係を形成するが, 地球がまるくなり, そのあげく對立する極はどんどん一点に凝縮し, 極が消滅するように, まるで円の形象をなして本質への還元的な關係になるといえる. 二重像が$lt;自已外化$gt;の假說であるという点を考慮する場合, このような對立と還元との關係は必然的にすでに內包されていたことがわかる. 要するに, 二重像はぼくが現實の中で日常性, 記號, 證明などによって定意された虛像を脫して, 本質を外に引きだす役割をはたしているというところに意義があるといえる. そして, 本質の統一體である變形の原形として, また自己外化の假說して日常的な存注の現實に`亡靈(非實在物)`のようにあらわれ, 自己をうつしだすものといえる. この二重像によってぼくの日常性には有罪が宣告され, 生活の果である壁にぶつかったが, 虛像であるぼくをうつしだし, 本質への變形を成し遂げることによって逆說的に二重像は眞の自己さがしの出發点になったと見られる. 以上, 小說「壁」は二重像の自己外化の週程を通じて, 日常の抽象的な關係から虛像を脫し, 本質の自己をもとめようとする超現實主義的な方法の自己さがしの文學である. 名前を失い, 名刺のために存在勸を剝奪され, 結局は壁に變形する一連の過程が一面では名刺という物質による人間疏外の構圖であるという否定的なイメ-シとして把握されることもある. しかし, 本橋では逆說的にその過程が疎外を克服し, 自分自身の本質をさがしてさまよう文學として把握した. つまり, ぼくの本質を二重像という形像を通じて自分自身と事物について懷疑し, 正·反の形で對立し, 日常で疏外の場になった壁の像を凝視して疏外を克服し, 壁に變形して還元をなしとげる過程を描いている. 自分自身の日常的な姿に變形を試みることによって, 存在に對する認識に變革をおこない, さらに, 自己の本質を明きらかにしていく作品であるといえる. したがって,「壁」は變形の原形であるといえる二重像を通じて自分自身の本質の認識に對する問題を提起する文學であるといえよう.

목차

Ⅰ. 서론
 Ⅱ. 본론
 Ⅲ. 결론
 참고문헌
 要旨

저자정보

  • 金蘭玲 김난영. 한국외국어대학교 강사, 일본근대문학

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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