원문정보
초록
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純粹な信仰生活から起こる性衝動と人權を押しつける社會によって苦惱してきた有島武郎(1877-1923)は.自我に自覺めた近代日本の文學者の一人として,當時の社會の不調和に氣づき,それに徹底的に對立した. 彼の作品中,『或る女』は,靈肉の葛藤と社會の抑庄に苦しんだ作家,有島と著しい關連を持ってして,彼の面影と思想が特によく現われている. 先行硏究によると,有島のこのような葛藤については背敎者として批判したり,或は,`靈と肉`の葛藤構造を論じたりすることに留まっている.それに,『或る女』についても葉子の悲劇的な結末の方にもっとも多い關心を集めて來た. 本稿では,有島が凄じい苦惱の中から取り出した思想の中で`個性`に注目して,『或る女』の葉子に投影されている個性を確認しようとした.このように有島の思想に基づいて作品を分析することによって,有島の提示する理想的な近代人の樣子を把むことに本稿の目的を置いている. その考察において,第1章では,個性を仰庄する外部世界,卽ち,經濟的狀況と男性に對する敵意とによって葉子が葛藤する所を採してみた.第2章では,葉子の感覺機關と幻聽·夢幻等の無意識の世界を通して,彼女が自分の强烈な個性を認識して行く過程を調べた.第3章では,經濟的な現實や男性に對する敵意を乘り越えることはもちろん.血肉を犧性にしてまで徹底的に個性に沒入する葉子の本能的な生活を確めてみた. 以上,有島の思想に葉子を代入した作品分析を通じて,葉子の悲劇的な運命は人間としての自覺に遲れた近代日本の悲劇であるという事が分った.有島は自分の期待してきた理想的な近代人を,本能的な生活に自己を燃やした葉子を通して語ろうとしたと見られる.このように『或る女』の葉子が個性に沒頭して本能的な生活を追求し,自由人を熱望したという點から考えてみると,當時,日本の習性的·知的生活の次元から近代的な意識を-ケタ提げるに寄與するとこる大であったと言える.
