earticle

논문검색

萩原朔太郞와 口語自由詩

원문정보

Hagiwara Sakutaro and Modern Japanese Poetry

양동국

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

朔太郞の處女詩集「月に吠える」は,近代詩の歷史の中で一つの分水嶺を作った畵期的な詩集である.口語自由詩の確立という大きな反響を卷き起こしたこの詩集は.日本近代詩をより豊かに實らせた「變革の導火線」といえる.少なくともこのような評價についてはまず異論はないだろう.しかし,『月に吠える」が持つどのような特質が,そのような最高の評言をもたらしたのか.これについては樣樣な硏究がなされているが,そうした多樣な視角からの硏究が可能になったのは,實はそれぞれ微妙に異なるいくつかのレべルで複雜な詩的情緖を釀し出す,その內容的·形式的な特徵によるものである. 本論文では『月に吠える』の特徵をつかむ系口として,「春夜」に重點を置き,評釋や嚴密な文體分析を通じて朔太郞の詩的文學性を採ってみた.特に「春夜」に焦點を合わせたのは『月に吠える」全編に共通した情緖·技法·イメ-ジ·音樂性が, この作品にとりわけ象徵的でなおかつ含蓄的に秘められているからである.「春夜」はある事柄,內容を傳えるのではなく,直接的に吐露できない詩人の感情·心象を, 實際の意味からある程度距離を置く言語の使い方によって朦朧とした雰圍氣を漂わす詩である.最終行の「-です」という文體は,聞き手を要求した話法として,同時に語り手を浮き彫りにさせているが,それは異常な外部世界の描寫がほかならぬ語り手の內部世界であることを意味するのである.從ってそこから朔太郞の生存の悲衰.存在の重苦しさといった實存意識の一斷面が集約的に盛られているといってよかろう.ところで,朔太郞の口語感覺を露わにあらわす「ように」文體や,彼にとって「詩語の空洞化」の頂點ともいえる「でもなか」文體,そして詩的話者を浮き彫りにする文末の「です」體などは,すでに福士幸次郎,大手拓次などが用いかていた表現である.さらに朔太郞の代表的な詩的題材といえる$lt;吠える犬$gt;や$lt;靑猫$gt;のイメ-ジもこの二人の詩作品にあらわれており, これは朔太郞が彼等から少なくない影響を受けていたことを暗示する. 詩人としての朔太郞の詩語は決して豊富な方でなく,また多樣な詩想の持ち主でもない.『月に吠える」と『靑猫』に限って言えば,詩想にしろ,イメ-ジにしろ,詩的技法にしろ,朔太郞は他の詩人から受けた影響をより細分化し,徹底的に掘り下げて新しい詩的技法を探り,ねばねばとした詩想へ投入していくのである.そのよい例が「春夜」と「농めかしい墓場」からみてとれる「言葉の空洞化」による溶解·腐亂のイメ-ジであり, 一方では聞き手を想定した語り手の顯著化の手法である.

저자정보

  • 양동국 상명대 일어일문학과 전임강사, 일근대 문학ㆍ비교문학

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 5,100원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.