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다쿠보쿠(啄木)의 단가(短歌)와 한(恨) - 가집 (歌集) 을 중심으로 -

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A Study on Takuboku's Tanka

韓基連

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초록

일본어

石川啄木の短歌の代表的な情緖の-つとして多くの硏究家は,「悲しみ」をあげている.「悲しみ」と「喜び」は,常に全ての人間の生の中に腰をおろしている.よって,「悲しみ」と「喜び」に關 する硏究は,人間の本質的な面にせまる-つの方法であると言えるだろう.啄木の短歌の代表的な情緖の-つである「悲しみ」に對する硏究は, 啄木を正しく理解するための-つの方法として.啄木の硏究においてとても重要な意味をもっていると言えよう. このような理由から,私は啄木の歌集『一握の砂』と『悲しき玩具』の短歌を中心に啄木が歌った「悲しみ」の情緖を,韓國の「悲しみ」の情緖を代表する「恨(ハン)」の視角から考えてみたのである.また,同じ視角から彼の人生も考えてみようとした. このような硏究の意義は,啄木のもっているあたらしぃ意味の穿鑿を企ることである.また,日本の國民詩人である啄木を韓國の「悲しみ」の情緖を代表する「恨」の視角で再照明することで,明治の日本人の「悲しみ」の情緖を理解するのに,役に立つだろうと考えられる. さて,韓國「悲しみ」の情緖を代表する「恨」という視角を用いて,啄木の歌集『一握の砂』と『悲しき玩具』の短歌を再照明することは,一種の讀者論と言える.讀者論の立場から作品硏究を行う時,作家は排除されなければならない.しかし,短歌が一人稱文學であることから啄木を短歌の解釋から排除するよりは短歌の中の「我」と「啄木」との差異を明らかにるために,啄木の傳記は短歌の解釋の資料として採用された.以上のような硏究態度をもって啄木の短歌を,「恨」の視角から,再照明し,次のような結果を得たのである. 啄木自身を素材にした短歌では,啄木の人生が困窮を極めた狀態から生じた悲哀(かなしみ)としての 「恨」のイメ-ジとその悲慘な現實から脫け出たいという强い欲求,卽ち願望としての「恨」のイメ-ジが見いだされる.そして,「恨」の否定的な屬性の對他的な攻擊性のひとつである怨念,よりは對自的攻擊性のひとつである自責の念にかられた彼の姿がよく表われている.對他的な攻擊性よりは,對自的な攻擊性が彼の短歌からよく表われているのは,彼にできた「恨」の主な原因が啄木自身にあったためであると思われる. 家庭や家族を歌った啄木の短歌からは,經濟的な困窮は啄木だけでなく家族全員.を精神的·肉體的に苦しめたということがわかる.啄木は家族に對する愛を歌った短歌をもって,家族を不幸に導いた-つの原因提供者としての否定的なイメ-ジを克服したといえるだろう.それで,苦痛に喘いでいた當時の農民や勞動考を歌った彼の短歌がより眞實をものに評價されたのであろう. 故鄕を歌った啄木の短歌からは,貧しいゆえに故鄕喪失の立場に追われた啄木の胸の奧に, 故鄕までも失われたという故鄕喪失の悲しみがうかがわれる.故鄕喪失は,啄木自らはどうすることもできない,心の中の病になっていた.故鄕喪失からできた望鄕の「恨」は.悲慘な現實のなかの啄木に,故鄕をよりなつかしいものに思わせたといえる. それから,故鄕を歌った短歌から,故鄕の人人に對する彼の憐憫の心が感じ取られた.啄木個人の故鄕喪失の悲しみや苦痛だけを歌う次元を索り越え,當時の時代の矛盾に苦しめられていた農民や勞動者の悲慘な生活までも短歌に受け容れようとしたのである. 啄木がまずしかった農民や勞動者のことについて心底から理解でき,それを同情する短歌を殘すことができたのは, 啄木自ら貧しい生活からの苦痛や悲哀を經驗したからである.そして啄木自ら誰よりも苦しい人生を生きた.にもかかわらず, 自分だけの世界に止まらず,他人の苦痛や悲衰をうたった短歌を殘せた.そのようなことから歌人であり. 思想家として苦惱しつつ短歌を作り續けた彼の秀れた一面が感じられる. そのような啄木のて作家精神は,實際の人生での否定的なイメ-ジをのりこえて,今日,肯定的なイメ-ジをもって多くの讀者にの愛着をえることができたと考えられる. それから,當時の日本社會がもっていた構造的な矛盾を理論的に把握し,これを打破しようとした啄木は,思想的な面においてもすぐれた先覺者をとして評價されるべきである.

목차

Ⅰ. 서론
 Ⅱ. 본론
 Ⅲ. 결론
 參考文獻
 要旨

저자정보

  • 韓基連 한기련. 원주대 부교수, 일본문학

참고문헌

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