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소세키(漱石)의 漢詩文 研究 - 子規와의 交遊를 중심으로 -

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A Study on Natume Soseki's Chinese Poem and writing

崔奉完

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초록

일본어

小說家漱石という名前は彼の生涯の中で殆と後半期の文學活動に因って名付けられた呼稱である.だから一般的に漱石とすると小說家として或いは東京帝大の英文科の敎授に在職した經歷から英文學者として聯想しやすい.しかし,彼の文學世界の形成は遙かに幼年時代から學習した傳統の詩歌と中國風の漢詩から始まる.ただ時代の流れが傳統の固守としては生き殘られない世紀末の思想と新たな世紀の思潮の押し寄せから徐徐に現實を追隨するしか仕方がなかっただろう. 本稿では,小說家以前の漱石の文學思想が窺われる漢文と漢詩について考察してみた.そのなかで漱石が子規に書簡の形で送った內容をテ-マとして漱石が子規に宛てた書簡の意義と分析,子規の「七草集」に對する漱石の「「七草集」評」及び「木屑錄」の漢詩文について考察してみた. 先ず,漱石の書簡文が一九九六年版「漱石全集」によると2486通のなかで子規に宛てたのが現在89通が收錄されてある.それなのに子規が漱石に宛てたのはようやく21通に過ぎない.このように予規の方がずっと少ないのは色色推し測られるが,本稿では本論との關聯性が薄いので具體的には究めるには現存する資料の不足と子規の言及がなかったので推論にとどまっている.ただ,兩氏の間の書簡の特徵は日常生活の身邊雜記にとどまらず,文學の同伴者として一方では習う學生として,一方では敎える先生として樣樣な形を書簡という形式を通じてやりとりしたのに意義があると思われる. 「七草集評」に表れた漢詩文には子規の「七草集」の中で漢詩文に書かれた「蘭之卷」(漢文)と「萩之卷」(漢詩)に對しては言及しなくて,他の五卷に對して評を下し,末尾に漢詩九首を載せている.漢文では自分を謙って(無鹽)に譬え.予規をげて(西施)に託している.漱石の漢文が六篇しか殘っていなかったので判斷の準據をこの作品でしか出來ないが,子規の立派な漢文驅使に刺戰されて本格的に漢文と漢詩を作らせた原因は子規の「七草集」の影響だと思われる.漱石は「七草集」について$lt;情優にして辭寡く,淸秀超說,神韻を以て勝る$gt;とロをきわめて賞讚しながらも,$lt;蕪句鄙言有り$gt;と評釋する自分なりの知的な自信感と詩的な挑戰心理を現している.なお,九首の漢詩では子規が上京して向島の香樓に宿ってに樓に宿ってから去るまでの生涯がものがたり性で詠談じている. 「木屑錄」に表れた漢詩文には[木屑」のいう言葉の意味から分にかるようにつまらない木くずとかおがくずの意味である.しかし,漱石がこのように名付けたのはどこまでも謙辭の語であり,實際には「木屑錄」をきっかけに漱石が子規より漢詩文の場合には高い境地に達するようになる.子規も「木屑錄評」で$lt;其の詩也株璣,山を敍し水を狀$gt;して,,$lt;支那の古文を讀むが如し$gt;(「筆まかせ」)と感歎している. 一方, 漢詩では漱石の[黃]·[傷]·[郞]の韻字を使って子規が次韻詩で答えると,そのように評價を受けるほどではないと謙讓の美德で應酬するこそ,二人の問に敎學相長じの基盤を築きあげることが出來たのではないかと思われる.

목차

1. 序論
 2. 漱石가 子規에게 보낸 書簡文
 3. 『七草集評』에 나타난 漢詩文
 4. 『木屑録』에 나타난 한시문
 5. 結論
 參考文獻
 要旨

저자정보

  • 崔奉完 최봉완. 중앙대학교 박사과정, 시가문학

참고문헌

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