earticle

논문검색

五色獅子の源流

원문정보

The Origin of the Five Colored Lion Dance

李應壽

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

獅子舞の獅子に,五色でできているのがある.靑黃赤白黑,あるいはそれに近い色で,とても美しい.そのうえ,それぞれの色が意味を持っている. この論文では, その五色獅子の源流をたどってみた. まず韓國では,海西地方の鳳山假面舞·康翎假面舞·殷栗假面舞,嶺南地方の水營野遊·統營五廣大など,廣い地域の假面劇に獅子舞が登場する. しかしこれらは, あくまでも假面劇のなかの1つの場に過ぎない.獅子舞が劇全體の主眼をなしているのは,東北地方の北靑獅子戱だけで,この北靑獅子は五色の毛で飾られている.五色獅子が韓國の最も傳統的な獅子舞であると言えよう. それに比べ,日本では,1998年現在,8000にもおよぶ獅子舞が上演されているが,五色獅子と認められるものは沖繩縣に限られている.浦添市の勢理客と仲西,そして具志堅市·宜野灣市などの獅子舞がそである. しかし,日本でも五色獅子の歷史は古い.まず藤原道憲(?∼1159)の描いた「信西古樂圖」の二人立獅子の場合,揷入文から五色獅子であったことが分かる. そして,「法隆寺伽藍緣起幷流記資材帳」には『師子貳頭 五色毛在袴四腰」と記錄されている. 五色の毛は拔けたものの,それと覺しき獅子頭が今に傳わる.そのうえ,伎樂の獅子も五色獅子で, 1980年に復元された東大寺の伎樂では,色も鮮やかな五色獅子が舞臺にあがった. ところで,伎樂は,「書紀」(612年)によれば,百濟の味摩子が吳に學んで日本に傳えた樂である.したがって,當然ながら韓半島の,たとえば新羅の催致遠(857∼?)の「鄕樂雜詠5首」のなかの「산예(獅子)」や, 伽倻の于勒の「12曲」(552年以前)のなかの「師子伎」も,伎樂の五色獅子であったと推測される. 中國で五色獅子か流行ったのは,唐の時代である.李白(701∼762)は「上雲樂」で「五色師子 九苞鳳皇 구노호계견 嗚舞飛帝鄕」と詠み,帝鄕,すなわち都の長安で五色獅子舞が盛んであったことを記している.そして,「舊唐書卷29」の記錄「太平樂,亦謂之五方師子舞」は,五色獅子舞が,宮中の正式樂にまで指定されていたことを物語ってくれる. では,なぜ五色なのか.それは,中國古來の五行思想と關連している.インドにしか棲息しない獅子が中國に入ってきたのは,西域との交流が頻繁になった漢の武帝(BC.140∼87)以來のことである.その後,中國における獅子は,獅子舞へと變貌する過程のなかで,木火水金土が循環するという五行思想と結合し,五行の色の五色獅子として生まれ變わったと思われる. 一方,ネパ一ルの假面劇マハ一カ一リ一·ピャクン(Mahakali Pyakhan)の獅子も,五色獅子である.タルチョ(祈◎旗)で象徵されるチべソト佛敎での五色の意味は,地水火風空の天地自然の運用をあらわすもので,中國のそれに似ている.しかし,この劇の五色は,血·怒り(赤),力(黑),精液(白),神神の寬容(黃·綠)をあらわしており,中國のそれとはだいぶ違う.おそらく,劇の內容が當地の傳說に基づいたものであるからであろう.

저자정보

  • 李應壽 이응수. 세종대학교 일어일문학과 부교수

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 4,500원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.