원문정보
초록
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「今昔物語集」(以下,『今昔」と略稱)の本朝部は卷十一から卷二十までの佛法部と卷二一から卷三一までの世俗部に分かれており,さらに本朝佛法部は,『今昔」の記述の態度,主題,話題から大きく「佛法史」(卷十一·1話∼卷十二·10話)と靈驗譚·因果應報譚の二つに分けることができる.本稿の目的は「佛法史」の構成とそれを支える論理を明らかにすることである.まず,從來の說として,末法意識とのかかわりを唱える森正人の說と,末法意識は無關係で,「自國意識」こそ「佛法史」を支える根本理念であるという前田雅之の說が注目されるが,兩說を以て「佛法史」の構成·表現のすべてを收斂する根本理念とするには無理があると判斷される.末法意識においては.「今昔」に末法を想定するのは自明のことで,現に「今昔」において未法觀の用例が見出せるなどの点をあけ,前田說は說得力を欠いており,森氏の說が妥當であると述べた.また,宗派意識(特定の宗派·寺院に對する立場)について,筆者はハ宗に注目して編者の構成の意圖は院政期當時の諸宗派(佛法)の綱羅への志向にあったと論述した.最後に「國家(王權)重視」については,「佛法傳來譚」,「諸寺建立譚」,「諸法會創始譚」における文章,表現,構成を手がかりに「今昔」の國家重視の態度を明らかにした.そもそも「佛法史」と王權のかかわりは先學によって,ある程度指摘はされているか,筆者はその指摘をさらに押し進めて,寺院間の確執とそれに對應する朝廷,さうに佛法王法相依理念という院政期の時代的背景を念頭に置い,王權を中心に据えてこそ全宗派の綱羅,客觀的記述,佛法隆盛の宣言,構成の體系化が可能であったと考える.王權が保護·嚮@導し,國家の安寧と天皇の安穩を祈願する理想的な國家佛敎を描こうとしたのが「佛法史」さ支える第一の論理であったのである.