원문정보
초록
일본어
夏目激石の「道草」は健三·お住の折り合いを向けての狀況を眼差しの變化という視點から考察してみた. 『道草」は健三·お住の業起伏の中に人間の生存への思索を深めていく樣相が描かれている.健三とお住夫婦の結婚生活は,知的エリ-トの夫と,その誇りと滿足を相對化すべき役割を擔った生活者としての妻という特殊なカッブルの相貌もまたその裡面に烙印されてあった. 健三はあらゆる意味からみて,妻は夫に從屬すベきもので,自己存在を主張しようとする妻を見ると「女の癖に生意氣だ」と妻への不滿を吐露した.お注は「單に夫といふ名前が付いてるるから」ではなく「尊敬をうけたければ,受けられる丈の實質を有つた人間になつて自分の前に來るが好い」と健三が「權柄づく」とすればそれに反抗する.この夫歸のトラブルの根本原因は「妻は夫に從屬すべきものだ」という夫の意識にあって,「夫婦の態度は惡い所で一致」していた.これは夫という單なる意識ではなく,社會のル-ルやモラルとしてガ-ドされている社會制度によると健三に對するお住の描き方が男性支配の家族(夫婦)像から拔き出して,新しいスタイル創造への可能性に向かって,特に夫婦の折り合いに徐徐に微妙な變化が生まれて,えもいわれめ和みが漂うようになっている.「機嫌のよくない時は,いくら話したいことがあつても」「話さない」「壁」の健三が,次第によく話すようになっていくのは,妻に對して「機嫌のよくない時」が滅っているからで,それは妻を評價するようになっていることと無關係ではないだろう. このことは「用事の外決してロを利かない」「口數の少い」女であるお主が.用事以外のことでよく口をきくようになっていることと聯關する.「切り合い」はまことによくなっているのである.疎遠にしていた親族が同類の人間に他ならないという自覺をもつにいたって,妻と子を眺める溫かく優しい眼差しが見える.それは大きな一步を踏み出した激石の到達し得た人間確認の見られる作品である.『道草」のお柱の女性像は後績作品である「明暗」のお延の女性像への大きな一步を踏み出した作品といえよう.
