초록
일본어
有島武郎は、『三部曲』を書き終え、吹田順助氏宛に「『三部曲』が出來ましたから別便で御届けします。こ れが私の旧衣を脱する最後のものです。この次には論文、それから來年の六月頃『新小説』に何か長いものを書か ねばならぬかと思つてゐます。その作では新しい衣裳を着て見たいと思つてゐます」とい内容の書簡を送っている。『 三部曲』の後に書こうとした<新しい衣裳を着た>作品とは『運命の訴へ」のことである。しかしこの作品は完成する ことなく、中途挫折してしまった。そして、これ以降、有島は<落潮>に見舞われてしうのである。では、この<落潮>の原因 はどこにあったのか。本稿では<旧衣を脱する最後のもの>、<新しい衣裳を着る>という言葉をキーワードに、有島の< 落潮>の原因を探っていく。 離教後の有島は、キリスト教の思想から自由になるために、独自の思想を構築する努力を続けた。そして<愛は奪う >の思想を得、その自信をもとに創作に取り掛かった作品が『三部曲』であった。有島はこの『三部曲』をキリスト教 との完全な決別の意味を込め、総決算の意味で書いた。したがって『三部曲』は、有島にとってキリスト教という<旧 衣>を脱する最後の作品となったのである。 キリスト教を脱し、新たなスタートを切ろうとした有島は、それを<新しい衣裳を着る>と表現したのである。そして<新し い衣服を着る>ことで新たな可能性を求めた作品が『運命の訴へ』であった。しかし有島の思惑通りに創作は進まな かった。そして、遂に彼は<落潮><挫折>に見舞われるのである。では、この<落潮>の原因はどこにあったのか。それ は、皮肉にも有島が<旧衣を脱いで>しまったことに起因していた。有島はこれまでキリスト教に対抗するかたちで<愛は 奪う>という自らの思想を構築したのだが、キリスト教を排除することで、自己の個性の中に絶対的なよりどころを求めな ければならなくなったのである。しかし、いくら努力しても自己の個性の中に信頼しうる強い力は見い出せなかった。そして 、自己の個性の追求は、有島を次第に虚無的な状況に追い込んでいったのである。結局、キリスト教を排除し、自我の 絶対性を追求することが,かえってリアリズムの内部崩壊を迎てしまう一要因となってしまったのである。有島の作風は、 これ以後、ニヒリズムにと進んでいくのである。
목차
1. はじめに
2. <舊衣を脫する最後のもの>の意味
3. 『運命の訴へ』挫折の原因
3ー1 作品の展開
3ー2 創作の不一致
3ー3 創作態度の変化と<落潮>
4. <落潮>克服の努力とその限界
5. 終わりに
參考文献