원문정보
초록
일본어
本稿では、在日韓国人作家․李良枝(1955~92)の諸作品、日本で芥川賞を受賞した彼女の代表的短編「 由煕」(1988)をはじめとする彼女の一連の作品に関して、その敍述構造の特性を検討した。これらの作品はみな、 自らが在日韓国人であること、女性であることの困難と苦悩、またその存在が逢着する根拠の不確かさを、言葉が人と 人との間に作る障壁を問題視する立場から、小説というエクリチュールを通じて凄絶なまでに提示している。また彼女の 作品は、いわゆる民族的アイデンティティの獲得の問題や朝鮮半島の本国との政治的関係を無条件に作品主題の 第一位におくというそれまでの在日韓国人文学とは異なり、そのような自己の存在の社会的条件の合間に潜在する「 個」としての苦悩や生命の発露を自らがおかれた立場から追究しようとしたという点でも、現在にいたるまでその存在 意義を看過することはできない。先に言及した日本語と韓国語との関係との関連で、私が本稿で李良枝の作品を扱お うとするのは、まず、その作品の登場人物が様々な文化的な葛藤の問題を作品に収斂させていること、そして、作家自 身のこのような主題にもかかわらず(あるいはそうであるからこそ、と言った方が適当か)、これらの作品が韓国語では なく日本語で書かれているということと関係がある。 このような問題意識をもとに検討することで、まず第一に、李良枝の作品、特に「由煕」に見られる外部と内部の境 界の曖昧さを、韓国語翻訳を通じて、つまり韓国人読者を対象とした時に生じる違和感を根拠として説明した。その境 界の曖昧さは、あるいは作家․李良枝の自己分析の結果とも言え、必ずしも作品の価値を損なう原因にはならない。 母語と母国語との間に引き裂かれる主人公․由煕の心の揺れをより客観的な分析対象とした結果であるこの曖昧さ は、主人公の動揺であることにとどまらず、作家․李良枝自身の試行錯誤でもあったろう。 第二に、李良枝のさほど多くはない作品は、言語や民族性といったものにまつわる個人のアイデンティティの動揺とい う観点からこれまで論じられることが多かったが、その他にも女性として受ける苦悩に注目することによって、ジェンダー 論的な分析が可能であることを本稿で明らかにした。作家․李良枝がその作品の登場人物に課している様々な試練 、その登場人物が受ける様々な苦痛は、単に言語的․民族的なものに対するものではなく、このような性に関するものも 含めて、それぞれ非常に重層的な関係を持っている。本稿ではその関係や構造の究明までには至らなかったが、少な くともその必要性を強調することで、今後の李良枝の作品に対してより幅広く解釈していく必要性を本稿では提示した。 民族語文学を単位とする比較文学研究において、李良枝などをはじめとする在日韓国人文学は、そのような民族 文学という単位自体が無効となる契機をその存在において示している。確かに在日韓国人文学は日本語で書かれて いる。しかし、それは日本文学でも韓国文学でもなく、日本語で書かれた文学、しかも文学に冠せられるナショナリティを 部分的に無効にするものとして存在するのである。また、翻訳された文学作品、本稿の場合でいえば李良枝作品の韓 国語訳は、単なる「日本文学」や「日本語文学」の韓国語訳として処理されてはならず、韓国語の文脈で解釈さ れることで作品の意味世界の豊穣さを加え得るという点で、存在価値が認められるべきものである。各国語の民族語 文学の「文学史」には、このような翻訳文学の存在を過少に扱ってきた。しかし、作家の創作に与えた個別的な影響 のみならず、読者の趣向をも変えていく翻訳文学の存在は、今後の文学研究においてもさらに詳細に検討されていくべ き問題であろうと考える。
목차
1. はじめに──翻訳と言語の特性
2. 使用言語․視点․小説生成の場──短編「由煕」について
3. アイデンティティ、ジェンダーと文化──李良枝作品を見る視角の転換
4. 小 結