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초록
일본어
賢治が1924年刊行した『春と修羅』第一集(以下、『第一集』と略する)には、妹トシの死を悼んで樺太へ旅し た時に生まれた挽歌群が収錄されている。本稿は、童話『おきなぐさ』や詩「雲とはんのき」のなかに見える、<北>と <南>という方位に注目して、妹トシと関連のある詩を中心として<北>が持つ意味を考察しながら、それと共に<南>の ことも考察したものである。 『第一集』の巻頭の「屈折率」のなかで、賢治は自分の行くべき不安な前途を予告している。つまり、<天>を志 向する行為が同時に地下世界の魔法のラップを探しに行くのと正反対になる方向、自分の信仰において試練を受け るどうかという危険なところである。彼の予告通り、妹トシの死によって信仰の彷徨に処せられることになる。 『第一集』には、妹トシの死を悼んだ臨終場面からはじまって一連の挽歌が収められているが、そのなかで<北> の樺太への旅の時、十篇の詩群が詠まれている。この十篇の詩を検討してみると、とし子への挽歌という主題のありよう が一様ではなく、一種の進行性の経過を示していること、その経過に、ある奇妙な特徴が読み取れる。その特徴とは、と し子の臨終の場面、とし子の死の意味、とし子の辿った死後への夢想といった挽歌としての中心的なモチーフが、最初 の「青森挽歌」のほとんど全篇の表相を占めて協力に打ち出されている。旅が<北>へ近づくにつれて敍景と併存し、 挽歌感情が続いている。 しかし、最北端を背景とする詩「オホーツク挽歌」には挽歌感情から脱皮していく詩人の姿が詠まれている。さらに、 帰路につき南へ向かった時に読まれた「樺太鉄道」「鈴谷平原」ではほとんど詩句の表相から姿を消し、挽歌群 の最後を飾っている「噴火湾(ノクターン)」にいたって再び挽歌感情が読まれているほどである。しかも、「噴火湾(ノ クターン)」のそれは、以前の「青森挽歌」に比べては雲泥の差があるぐらい、その感情の質と内容が落ちている。 そして、挽歌旅行から帰った賢治は、「風景とオルゴール」の章で新たな旅行を予告することになる。「雲とはんの き」のなかで<南の方>へ石灰岩を探しに行くべきだと予告するが、これは妹トシがいない現実世界を受容して対社 会意識をもって実践的な生を営むことを意味する。そして、「宗教風の恋」と「〔昴〕」には関東大震災の悲惨な 状況が触れられており、とくに後者には死んだ妹トシへの<宗教風の恋>をしてはいけないと自省する賢治の心境が詠 まれている。 以上のように『第一集』を考察してみると、賢治にとって<北>は、方向としての意味ではなく死んだ妹の魂が行っ ている空間を象徴している。しかも、この<北>は垂直方向の空間にも転移されている。そして、<南>は、妹トシのいない 世界として社会への実践的な生が営める現実世界を象徴している。
목차
1. 서론
2. <심상>의 출발과 여동생 죽음
3. <북쪽>으로의 여행
4. <남쪽>으로의 여행
5. 결론
참고문헌