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초록
일본어
島崎藤村は、勞働ということについて “初めて私の眼を開けてくれたのは、トルストイの小冊子であった”と「勞働の 世界」で告白しているように、その生活や芸術の根底には勞働についての認識が生きていたといえる。当時、西洋では 経済学者たちが勞働に与えてきた功利主義的な意味を捨て、ルネッサンスの人本主義へ戻ろうという動きが現われて いた。このような動きのなかで勞働についての再認識を試みた人々には、トルストイ、カーライル、ミレエ などがいる。彼等 の生き方や芸術の行路は藤村にとって、もっと自分を新鮮に、そして簡素にするため都会の空気の中から脱け出して小 諸に隠棲して以來、精神的な慰めと刺激になったと思われる。 本稿では、藤村における勞働についての認識をもっと具体的に把握するため、彼が小諸で生活しながら観察し、ス ケッチしたといわれる小説『千曲川のスケッチ』と感想集を中心に分析してみた。藤村の勞働についての認識の様相 を見る過程で、勞働の意味を探り出し、それが藤村の人生と芸術にどのように位置づけられていくのかをもみた。 まず、トルストイやミレエなどから受けた感化は、藤村の心の眼を新しい次元に目覚めさせたといえる。藤村は農夫の 生活を皮相的に眺めるのでなく、教師の傍ら鍬をかついで荒れた土を耕すうちに、彼等が流す汗の厳粛な意味がわ かるようになった。それは目的のために報酬を手段として生活する知人の生き方よりは、農夫と一緒に汗を流しながら自 然の意味を絵にしたミレエの生き方から真の芸術家の姿を悟らせられるきっかけになったのである。さらに、人間と自然と の関係が破壊されないような生活に戻って、自分の道を拓いて行くのが芸術家の使命であるというトルストイの言葉の ように、長男と次男を次々に帰農させたのである。つまり、藤村は勞働を本質的に意味あるものとしてみた。即ち、勞働の 価値を勞働の結果あるいは勞働以外の他の領域からでなく、勞働それ自体から見い出し、ついに彼が選んだ道は目 的と職業とを相一致させることであった。彼にとって生活は勞働であり、勞働は彼の生きている証拠であったに違いない 。そして、その勞働の価値認識が彼の芸術を支えてきたのである。その意味で、彼の芸術は勞働と生活の調和から作 られた創造物であったといえる。
목차
1. 들어가는 글
2. 노동에 대한 인식
3. 노동의 의미
4. 생활과 예술의 일원화
5. 맺는 글
参考文献