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日本という國が資本主義の土台をつくり上げ,帝國主義的な膨張を本格的に始めた時期に行われた府懸制郡制の改正(1899年)と市制町村制の改正(1911年)をその過程と內容を中心に分析した結果,府懸制郡制の改正の一番大きな意味は府懸郡と市町村の政治的な分離であり,それは共同體の間の紛爭で安定されていない市町村の政治が行政組織である府懸郡にまで波及されないようにしたことであると考えられる.また中央政府から市町村までの監督統制組織を整備し行政機關を通して監督と統制を徹底的にしようとしたことである.卽ち1899年と1911年に行われた地方制度改正の目的は政府が說明している`住民の意思を行政運營に直接反映する制度的な裝置を造る`という意味よりは政府の地方統治を强化しようとした措置であると解釋することができるだろう.また府懸郡と市町村の分離と市町村の固有性自立性を認めることは中央政府の統治力が地方の隅??まで及ばないことそ語っていることである. 言い換えれば地方住民達の自發的な參加による自律的な共同體の運營が市町村では行われていることを意味している.そして日本政府は地方の共同體を解體して行政の單位にすることで地方に對する統治を円滑にするよりは地方共同體と住民の共同體意識を適切に活用しながら地方統治に臨んでいることであろう.
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