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일본근대문학,예술논쟁연구(1) - 「서예는 미술이 아니다」 논쟁과 근대적 예술개념의 탄생 -

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The Study on Japanese Modem Literature and Art`s Controversy; Syotaro Goyama and Tenshin Okakura

정병호

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초록

일본어

本論文は,1882年小山正太郞と岡倉天心の間に行われた「畵ハ美術ナラズ」論爭を通して,近代日本の藝術槪念がどのようにして誕生したのかを考察したものである. 小山正太郞の「畵ハ美術ナラズ」という評論は,明治14年內國勸業博覽會で畵藝が「美術」の區域に含められていたことに異義を唱えることであった.だが,その意見の中には小山の「美術」觀が詳しく提示されている.そこに?まれている「美術」觀は「美術」が人心に「娛樂」「快樂」「慰め」を提供するということと風習の「敎化」「知識·學術の助」「輸出·事業の振起」とならということであった.この小山の主張に强く反發した岡倉は,「畵」が「前後の體勢を比し,各自の結構を考へ,以て人目を?しましめんと欲するの目的に至っては」「繪畵,音樂,詩歌,彫像圖畵,建築」などの「美術」と同一である反?する.とりわけ,この論で注目されるのは小山の提示した「美術」の道德的·經濟的效用性を岡倉が退けている点である.そのため,この論爭は「傳統主義」對「西洋主義」,「物質主義的功利主義」對「美術」の「自律的價値」の主張の對立として論じられてきた. しかし,小山·岡倉の位置していた明治10年代の美術界の環境をみると,兩方とも「文明開化」というスロ-ガンを軸にし社會一般に對して「美術」の道德的·經濟的·國家的效用性を積極的に唱えていたことが分かる.これは「美術」という用語が作られる過程,日本最初の美術學校「工部美術學校」の目的,フェノロサや國?的美術團體<龍池會>の會則,岡倉らが刊行した『大日本美術新報』の「美術論」を通して確かめることができる.したがって,1880年代の「美術」(藝術)槪念は藝術の自立性を强調しながらも,もう一方では「美術」の攻利的效用性を强く?んでいたといえる.この槪念こそ,藝術が自己の觀念·制度を構築して行く近代初期の基本的論理であったのだ. 一方,近代文學の成立に際してこの藝術という槪念は,<文學>が市民權を獲得するに欠かせない條件として見えなされてきた.しかし,『小說神?』を始めとる日本近代文學は,この美術界の「美術」槪念の影響によって,その實用性を自己の論理として內面化してゆくこととなる. この意味で,明治初期の<藝術>槪念,あるいは『小說神?』に付着している實用性·功利性はこれまでの評價のように文學藝術の近代性を損なう否定的な要素というより,むしろ文學藝術の自立性を構築する不可欠な要素と見るべきである.また,その功利的な要素は近代文學藝術が誕生する力動性そのものであり文學藝術の近代そのものであったわけだ.

저자정보

  • 정병호 고려대학교 시간강사

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