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韓日近代文學における知識人の價値の指向の姿をみるにあたって,夏目漱石が1910年前後の時代の雰圍氣から作り上げた `高等遊民`は廉想涉が1920-30年代の初期の時代雰圍氣を反映して作りとげた`シパサイザ一`ろいろな面から比較される.その對象が大學敎育を受けた知識人で社會の參考とは一定の距離そ置いている一方表面上,社會の發展になんの役割もはたさない無能な姿として表われていることが類似している.しかし`高等遊民`が社會にたいして傍觀者の立場であるとするなら`シパサイザ一`は表面的には傍觀者の姿勢を見せているが陰性的に社會變革に 參與する姿勢を見せていてその違いを見ることができる. ニ回にわたって日本に留學した廉想涉は"日本にいるあいだ夏目漱石の作品を全部讀んで多くの影響をうけた"と自ら告白したことがある.またこのような影響關係をうらづけるようにかれの作品のなかに夏目漱石の文學用語である`遊民`または`高等遊民`という表現が樣 な作品を通じて使われている. 一方,高等遊民には文明批評や美的享受などの文化的,知的な生の姿勢が要求きれるがシパサイザ一の場合はそのような生の姿勢は見られない.廉想涉は夏目漱石の作品から見た`高等遊民`的な生の姿はけっして好ましくないと判斷し,そこから高等遊民のより發展した形態である`シパサイザ一`に着目したのではないかと考えられる.廉想涉文學の`シパサイザ一`と夏目漱石文學の`高等遊民`のいちぅばん大きな違いは社會變革の參考の有無であると見ることができる.
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