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초록
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「白痴」は坂口安吾が1946年,「新潮」第43券に發表し作品である.安吾の文學人生においてキ-ワ-ドとも言える絶對孤獨を理解するには,絶對孤獨の境地に至るまでの契機になった幼年時代を硏究すべきである.したがって,本論の1では他の作家らよりも特に幼年時代からの影響が至大たる安吾の家庭環境と絶對孤獨を芽生えた契機を紹介した.「白痴」は坂口安吾が同年の1946年4月書いた「(墮落論)」を小說化した作品だといえるだろう.「日本文化私觀」が安吾にとって彼の生き方を思想的に定着させ,確立した作品だというと,「墮落論」と「白痴」はその生き方が戰後の特殊な狀況から出發してもう一つの獨自性を生成,彼の內部からの熱情をこめた作品である. 2では,絶對孤獨を表現するための前提である「白痴」の時代背景と暗鬱な戰後墮落した庶民たちの生活で,作品であるべきこの小說の主人公である映畵演出を勉强しているインテリ伊澤と精神世界を所有していない白痴についてみてきた.最初は主人公ニ人の性質を對立構造と設定さたが,次第に伊澤が白痴によって人間の眞の絶對孤獨を悟るようになるという構造を分析していった.「白痴」に見える `絶對孤獨` のいろんな樣相を三つの記號和した形態に分析した.また戰爭下という極限狀況を通じたからこそ人間の存在は墮落するまで徹底的に墮落して自分を正しく洞察できる安吾の人制觀を文學觀と關連?させている.この觀點から絶對孤獨を理想と現實,回歸と逃避,戰爭と墮落の題に記號化することができる.また,絶對孤獨が感じられる所として安吾はふるさとをあげている.彼の言うふるさとは,一般的に浮かぶ暖かくて慰められる空間ではない.人間のふるさと,文學のふるさとは人を慘めな極限狀況まで放してから人間ははじめて自分の本質を洞察することができる場所である.それで,戰爭という極限狀況を經驗した後,安吾のことが理解できるのである. 本論の最後は,安吾の敗戰直後感じた人間觀と文學觀を安吾獨自の`ふるさと`を通して極限狀況上の原質化した人間の ありのままを發見することができた.それを考察しながら安吾は人生というのは希望を持って生きていけるメッセ一ジを窮極的に傳えようとしたのだ. 坂口安吾の「白痴」は敗戰の日本で旣存の價値觀と倫理槪念,常識を喪失,未來について心配していた日本人たちにいカになった.また作家が常に考えてきた人間の `絶對孤獨`を,彼のみの文學觀に確立させる基になれる作品だと言えるであろう.