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18세기 한일 양국의 문학관의 비교연구 - 북학파 실학자와 일본의 국학자를 중심으로 -

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A Comparative Study of the View of Literature between Korea and Japan in 18th Century

金玉姬

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초록

일본어

この論文は18世紀の朝鮮と本の思想界で主流をなしていた實學者と國學者の文學觀を比較檢討したものである.18世紀には東アジアにおける中國の影響力の弱化による世界觀の變化にともなって,文學觀にも大きな變化があらわれた.その變化を主導したのが實學者と國學者である.ところで,その變化を比較してみると,樣 な共通點があることに氣づくことができる.その共通點はつきの六っぬ要約できる.1)傳統的な文學觀であった<載道之器論>に對する否定,2)自然な感情の表現の重視,3)樂しみの手段としての文學,4)獨創性の强調,5)民族文學の重視,6)庶民文學の價値に對する認識.ところが,この六つの共通點はそれぞれ獨立しているものではなく,一種の鎭のように緊密に繫がっている.なぜなら,庶民は名營のために文學をするはずがないし,先行作品の眞似をする程の學文的知識もないので,庶民の作品は獨創的であり,また自然な感情を表現するしかないはずである.それに中國文化を無條件的に追從せず,民族固有の情緖を獨特な方法によって表現するので,庶民文學は民族文學とほぼ同じ意味を持っていると見てもよい.こういうぶうに,鎖のように繫がっているわけだが,その根底には中國から取り入れた知識に抑壓され,また中國的なものに對する崇拜の産物である知識層の文學への否定が存在する.中國文化の無批判的な受容によって獨創性が損なわれ,自由な感情表現が妨げられ,また民族文學が抹殺されている現實に對する反省が,ほほ同じ時期に韓國と日本の兩國で,實學者と國學者によって起きたということができる. 以上のような共通點以外に,實學者と國學者の文學觀には注目すべき特徵がいくつかある.まず,實學者たちは文學を現實批判の手段として考えていたことがある.それに對して,國學者は一見現實よりは過去に關心を持っているように見みるが,もう少し注意を擴ってみると,勸力者の啓めなどを恐れ,過去のことのように作って現實批判を試みた作品を書いていたことがわかる.また,實學者たちは古典を批判したが,國學者は古典を理想的なモデルとして見なしていたという違いも目につく.しかし,これもまた注意深く檢討すると,兩者ガ用いていた古典の槪念が異なっていることがわかる.すなわち,實學者の場合は古典が「詩經」のような中國のものを指し,國學者の場合は『万葉集』などの日本の古典を指している.要するに,中國文化に對する批判が實學者には古典の拒否として,そして國學者には古典の贊美として現れたことになるので,これもまたある意味では共通點といえる. さて,實學者と國學者の文學觀における最も大きな違いといえば,自國の文字への關心の有無をあげることができる.すなわち,實學者たちは民族文學を重視したにもかかわらず,ハングルを使って文學をしようとはしなかっのに對して,國學者は假名を使って文學をしたのは勿論のこと,假名硏究においても大變な業續を殘した.しかし,この違いを直ちに民族意識の有無の基準にしてはならない.これに對しては,ハングルよりも假名は5世紀ほど先につくられたという點朝鮮の知識層はハングルの使用を憚っていたのに對して,日本では早くから假名が活?發に使われていたという點地政學的に朝鮮に比ぺて日本は中國文化の影響圈の外郭に存在したという點等を考慮した多角度からの解釋が必要たと思う.

저자정보

  • 金玉姬 김옥희. 한국체육대학교 부교수

참고문헌

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