초록
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世阿彌の夢幻能作品のうち、女を主人公とする『檜垣』『姨捨』『井筒』『砧』などの一連の作品には、シテ像造形における一つの太い変遷の流れが見受けられる。それは、シテの内なる心における道念と妄念の拮抗する度合いの弱化である。つまり、『檜垣』のシテにおいては、道念と妄念の間で宙づりにされる劇的な姿が見受けられ、『姨捨』のシテからは、浄化への祈りと名月への愛執の間で屈折してはいるが、この二つの心は拮抗するものではなく、救済への願望に名月への愛執が勝るという形で妄念の方に傾いている姿が捉えられる。それがさらに『井筒』のシテに来ては、道念は妄念を浮き出させるものとして前シテの心の片隅に据えられたに過ぎず、曲が進むにつれてひたすら妄念の方へ高揚してゆく姿が描かれ、最後の『砧』のシテとなると、ここではもっぱら妄念のみに苛まれるシテ像のみ見受けられる。こうした一連の変遷の流れは、世阿彌伝書に見られる「却来」論と何らかの関係があるのではないかという考えのもとで論を進めた見た。
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