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今までの先行研究では8世紀の中葉いらい、大宰府で新羅商人を中心とする私的なネットワークと商圏が形成され、780年になり新羅からの公的使節が中止されたと言われた。しかし本稿で考察したところによると次のようである。 まず8世紀中葉以後、大宰府では交易のための新羅人の人的ネットワークと商圏は構築されてなかった。完備されるのは820年代に入ってからである。8世紀の末は過渡期である。それで9世紀の初めの哀荘王朝に大宰府から新羅に使節が派遣されたのである。 一方新羅からの公的使節が中止されたのは日本側が執拗に新羅王の上表文を要求したことと、新羅国内の事情のためである。730年代から日本は執拗に新羅王の上表文を要求してきたし、779年の場合はこれ以後、上表文がなければ新羅からの公的使節は入国そのものができない状況であった。そして779年以後になると、新羅は混乱の継く国内の事情により、日本に使節を派遣する余裕がなかったと思われる。
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