earticle

논문검색

신라의 ‘遣日本使’ 파견 중지에 관한 일고찰 - 나라 시대 중ㆍ후기를 중심으로 -

원문정보

A Study on Stoppage of Silla's KENNIHONSHI(遣日本使)

李炳魯

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

今までの先行研究では8世紀の中葉いらい、大宰府で新羅商人を中心とする私的なネットワークと商圏が形成され、780年になり新羅からの公的使節が中止されたと言われた。しかし本稿で考察したところによると次のようである。 まず8世紀中葉以後、大宰府では交易のための新羅人の人的ネットワークと商圏は構築されてなかった。完備されるのは820年代に入ってからである。8世紀の末は過渡期である。それで9世紀の初めの哀荘王朝に大宰府から新羅に使節が派遣されたのである。 一方新羅からの公的使節が中止されたのは日本側が執拗に新羅王の上表文を要求したことと、新羅国内の事情のためである。730年代から日本は執拗に新羅王の上表文を要求してきたし、779年の場合はこれ以後、上表文がなければ新羅からの公的使節は入国そのものができない状況であった。そして779年以後になると、新羅は混乱の継く国内の事情により、日本に使節を派遣する余裕がなかったと思われる。

저자정보

  • 李炳魯 이병로. 계명대학교 국제학대학 일본학과

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 4,900원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.