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이광수의 초기문학론과 일본문학사의 편제 ─「조선(민족)문학론」을 중심으로

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The Study on Gwangsu Lee's Literary Theory and Japanese Literary History; the Theory of Chosun's Literature

정병호

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일본어

本論文は、李光洙の初期文学論の中でよく議論されている「朝鮮(民族)文学論」を,1890年代以降頻繁に刊行された<日本文学史>と関連づけて考察し、李光洙の「朝鮮(民族)文学論」の孕んでいる可能性と時代的限界を考察したものである。  これまで李光洙の文学論と日本文学をめぐる先行研究をみると、主に大作家や巨大作品(評論)を中心に、影響受容論が展開されてきた。しかし、李光洙文学論の骨子をなしている「知情意論」は勿論、彼の文學論の形成は日本の巨大作品の垂直的な影響と言うより、むしろ李光洙が位置していた文学環境に基づいていたといえる。本論文のテーマである「朝鮮(民族)文学論」の場合は、彼が日本の中学に在学していた頃から接していた<日本文學史>を相当意識し、また参考したものと言える。 『小說神髓』の刊行以降、日本で近代文學は芸術の一ジャンルとして「美」をその目的とするものとみなされてきた。しかし、<日本文學史>をみるかぎり、文學を「美」の領域に囲むより、國語という思想に基づき、民族の思想、感情を啓發し、國民に愛國心を鼓吹する役割が强調されてきた。 このような文學環境の中で、近代的文學觀念を形成した李光洙の「朝鮮(民族)文学論」の場合も、一見すると、文学に文化的ナショナリズムの尖兵的役割を担当させようとしたかのようにも見える。しかし、彼の朝鮮文学論は自国文化と外来文化の調和という認識の欠如は勿論、民族文学の偏狭さと論理の矛盾を孕みながら、伝統文学の断絶という方向へと進んで行ったといえる。 李光洙の「朝鮮(民族)文学論」は <日本文學史>の言說を中心とした日本發信の文化的ナショナリズムを受用し韓國文學に適用、展開させていく過程で導き出されたものである。したがって、李光洙の「朝鮮(民族)文学論」には、植民地空間の中で、幅広い自己認識を欠如したまま、近代化=(日本經由の)西歐化を推し進めようとした植民地知識人の偏狹さまで內在されていたと言えよう。

저자정보

  • 정병호 전남대 전임강사, 일본근대문학전공

참고문헌

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