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本稿は『源氏物語』続篇の「総角」巻において大君に用いられた「姫宮」という呼称に注目し、なぜその時点において大君の呼称が急に「姫君」「姉君」「女君」などの「~君」系の呼称から「姫宮」に変わったかを、大君の呼称の推移を指標として考察してみた論である。 従来、大君の呼称の変化に関しては、朝顔の姫君の例から親王の娘にも「~宮」系の呼称があり得るということ、呼称変化の境は八の宮の死であるということ、大君の「姫宮」からは八の宮に代わって「宇治の宮家を背負って立つ姫」というイメージが感じられるということなどが指摘されている。が、八の宮家の姫君たちに「~宮」系の呼称は絶対あり得ないとは断言できないまでもこの物語においてそれは異質な用いられ方であり、物語の文脈上呼称の変化が八の宮の死後から見え始めるのは事実であるが、実事はなかったにせよ薫と一夜を共にした直後から大君の呼称が「姫宮」に変わったということをも考えると、八の宮の死を境にして八の宮家を背負って生きるしかない大君像を形象するために、このような呼称の変化が起きたという従来の説明だけでは納得しがたい点が多いように思われる。 考察の結果、地の文において大君に起きた「~宮」系への呼称変化は、八の宮の死を契機として、薫といった京の世界の男と、出自はよいものの事実上没落した宇治の世界の女との恋物語を進展させるための、物語上の必然的な要求だったということが分かった。なお、薫との恋愛関係が本格化するなり、大君が急に「姫君」「姉君」「女君」などの「~君」系の呼称から彼女が亡くなるまで地の文において一貫して「姫宮」として語られたのには、もう一つの要因が秘められていると思われる。正篇において女一の宮と薫との恋の物語を描こうとした女一の宮物語の構想と照らして大君物語に用いられた「姫宮」の呼称を見てみると、それは女一の宮物語の残像とも言えよう。つまり、正真正銘の姫宮物語として構想されていた女一の宮物語に匹敵できる、新しい「姫宮」としての大君物語への作者の拘りが、語り手をして地の文において大君を「姫宮」に語らしめたのだと思われる。
