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遠藤周作の『スキャンダル』 論 ―人間の無意識の世界を中心に―

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On the Scandal of Endo Shusaku : an Analysis with Reference to Human Subconsciousness

陸根和

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초록

일본어

遠藤は、自分の文学を三期に区分している。第一期は、愛の神との出会いを描いた『沈黙』まで、第二期は、カトリックの日本での土着化を図った『侍』までであり、第三期の始まりは、今までとは別のテーマを取り上げた『スキャンダル』であると明かしている。 『スキャンダル』(1986年3月、新潮社)は、内容の焦点を神と人間との関係'ではなく'人間の無意識の世界'に合わせている。テーマにおいても、今までの'弱者の救済'ではなく、'悪の救済の可能性'を問いただすという新たな試みなのである。 しかし、作品『スキャンダル』での悪への接近とその概念、また解決方法と結果においても、評論家菊田義孝の言葉を借りていえば、'多愛なくちゃちなもの'という印象を消すことはできない。 何故なら、作品の中で遠藤の言う'悪'という概念は、人間の無意識の世界にうごめく性への情念と歪んだ妬みにほかならないもので、それは我々人間の残酷な戦争の歴史を考えると、悪の概念に入れないほどの弱いものであるからである。 なお、'悪の救済の可能性への問い'というテーマにおいても、はっきりした何ものも掴むことができない。それは悪の概念を標榜した「勝呂」の'スキャンダル'が、「勝呂」自身の救済への切実な祈りも解決のための積極的な行動もなく、単に他人の配慮のお金で解決できたことや、作品の終りまで'救われたという気持はまったく起らない、影の男はまだ無意識のなかで生きてうすら嗤いをうかべていたまま'であること、それに悪の本質を一番色濃くあらわした「成瀬夫人」は、その本質を持ったまま作品の中で急にどこかへ消えてしまっている。「小針」の卑劣な悪の行為も、彼自身心の呵責も後ろめたさも感じないまま一応お金でおさまっており、重要人物三人とも窮極的に救済という問題においては何の解決も見せず、作品はうやむやに幕を閉じている感じである。 ただ、遠藤文学における『スキャンダル』の意義をいうならば、遠藤が今まで書きえなかった'人間の無意識の世界における悪の問題'に初老のカトリック作家として取り組んだことであると言えよう。

저자정보

  • 陸根和 육근화. 대전대학교 일어일문학과 부교수, 일본근현대문학

참고문헌

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