earticle

논문검색

漱石の文明觀と擬似植民地的恐怖

원문정보

Natsume Soseki s Thougth around Western culture

朴裕河

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

漱石にとって「開化」とは集合意識の頂点を示すものだった。漱石は決して「開化」自体を否定してはおらず、むしろ「開化」のための競争は肯定的に捕らえられていた。そうでありながらもその場合「開化」を「外発的」「不自然」なものとのみ考えたのは、漱石が「開化」を西洋による「侵食」と考える認識を持っていたためである。そのような認識は西洋の開化こそが「自然」なものでその分強いとする思考に基づいていたが、そこには「開化」―「文明」なるものに対する漱石の誤解と過剰な主体意識があった。自己消失にたいする<擬似植民地的恐怖>は「空虚」という仮想のイモーションを呼びかけ、「神経衰弱」を当然視する。しかし、制度や日常における西洋の文化的「侵食」を恐れる漱石の恐怖は、異文化の受容のあり方に対する誤解から生じたものだった。 漱石がそこでとった戦略は週知のように「自己本位」で、それを支えたのは日本の「特殊性」をもってすれば太刀打ちできるという考えであった。漱石が日本における西洋風様式の定着に否定的だったのは師ケーベルの影響が大きいと考えられるが、ケーベルの憂慮は、充足されないオリエンタリズムを基盤にしている。そのような言説を受け入れさせたのは漱石のナショナリズムであり、そこにはオリエンタリズムとナショナリズムの共犯関係を見ることができる。漱石の「恐怖」は日露戦争の勝利をきっかけに「軽蔑」に変り、「誇り」への慾望となる。しかし、漱石が夢想した「日本」の固有性とは、日本という共同体がその構成員に強制し、結果として慣れさせた規範のことにすぎない。何よりもそこに見られる「純粋」信仰は、漱石という人物と文学自体が、英語と日本語で綴られたノートのあり様が語っているようにハイブリッドな存在だったことを隠蔽している。

저자정보

  • 朴裕河 박유하. 세종대학 일본문학과 조교수

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 4,600원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.