초록
일본어
本稿は、日本の近現代文学史において、小説家にとって翻訳行為が持った意味を概観し、また合わせて、 翻訳対象が近代期のヨーロッパ文学中心から最近のアメリカ文学中心へと移行した背景や意味についても考察し た。小説家が翻訳を行うには様々な理由がありうるが、最も大きな理由は、独自の文体創出のための努力の一 環であるということであろう。また、近代初期にはヨーロッパ文学中心に翻訳や受容が行われたのに比べて、 1945年の敗戦以降、アメリカ文学中心へと移り始めたのは、強大なアメリカという存在とアメリカ文化の世界的拡 大や普及が顕在化しながら起こった現象であるといえる。日本ではこの現象が1945年から1951年にいたるGHQ (連合軍総司令部)の統治時代から可視化し始めた。しかし、アメリカという存在に対する認識は、その後、劇 的な変化を見せることとなる。1958年に発表された大江健三郎の「人間の羊」や1965年に発表された小島信夫 の『抱擁家族』が、いまだアメリカに対するコンプレックスを持つ日本人を登場させたとするならば、村上春樹や 村上龍、田中康夫の世代にいたって、アメリカは完全に異なる様相で作品に登場することになる。アメリカはこれ 以上、二項対立的な概念とはなり得ない。ある特定の集団や概念として登場したりもしない。それは日常的な生 活の中に溶け込み、分離不可能となった存在としてそこにある。だから、これ以上、アメリカは日本文学の主題 となり得なくなったのである。そこで問題となるのは、アメリカ化した都市で何を取捨選択し、どのように生きていく かということだからである。
목차
1. 들어가며
2. 번역의 역사
3. 소설가에 있어서의 번역의 의미
4. 미국문학과 번역
5. 소설에 그려진 <미국>
6. 맺으며
참고문헌
