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소세키(漱石)의 신경쇠약- 그 굴레와 반전 -

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Soseki's Neurasthenia -the Yoke and its Break-

양희선

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초록

일본어

夏目漱石は英国で狂気とまで見える程の甚だしい神経衰弱に悩み、結局は文部省から帰国の命令が下される。しかし帰国後、自分の作品の中に繰り返し神経衰弱の人物を登場させ、又自分の神経衰弱を公開的に言及しながらも、神経衰弱を自分の文学活動が出来るようにしてくれた「感謝の対象」とまで言い切っていた。当時漱石にとって神経衰弱の意味は精神異常のそれとは別のものであったと思われる。   最初、神経衰弱が日本に紹介された時は狂乱病の一種として受け止められた。それが文明開化期の明治期に入ってからは「アメリカ文明病」としての最新式の代名詞になったのである。漱石は小説の中で神経衰弱に近代文明病としてのイメージだけでなく、文明批評の意味をも付与し、西洋化の熱気に徐々に嫌気が差していた読者の目を引くことに成功した。日露戦争後の勝戦の雰囲気、その内以前とは違う新しい方向への価値基準を求める読者がある為に.、多様な形態の色彩を湛える脱俗的な芸術精神と時代精神までを神経衰弱という鏡を通して見せ、相変わらず魅力的な作家として残ることができたと思われる。 神経衰弱は作家以前の生活人としての彼には現実的な欲望からの挫折に伴う病気の側面もあった。漱石は明治近代化のイデオロギーから派生した立身出世主義と熾烈な生存競争から決して自由でいられなかったからである。それに立身出世の為の選択、特に英文学と政府高官の娘との結婚において相次いで挫折したことを彼の手紙や日記等の私的記録から確認できる.。留学末期の甚だしい神経衰弱もこれに起因すると思われる。 神経衰弱は漱石神話を作り出すのに相当寄与したに違いない。又近代国家の独自的な可能性をまじめに模索した日本近代文学の文豪である漱石を誕生させたとも言える。ところが、この神経衰弱の背景には立身出世への欲求と挫折という現実の暗い部分もあったのである。漱石にとって神経衰弱は反転されたと言えるであろう。

저자정보

  • 양희선 성신여자대학교 인문과학연구소 연구원

참고문헌

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