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鴨長明は久寿二年(1155)に、河合社(下鴨、賀茂御祖神社)の長継の次男として生まれたが、十代の終わりに父が死去、神官になる機会を失った。その後、河合社の人事異動に失敗したことを契機にして隠遁した。長明は日野に隠遁した間(1208~1216)に仏教説話集である発心集を編集し、中世随筆の代表作である方丈記、歌論書である無名抄を書いた。 発心集は僧·在家の仏教説話を収集したもので、編集意図は長明自身の発心のために書いた。本稿では、長明が方丈記を書いて発心集を編集したというのは仏道修行に徹底しない自分を自省し、仏教に徹底に帰依する過程を考察した。そのような過程を通じて編集した発心集の代表的な伝本である慶安本は長明と醍醐寺の資料交流という研究を土台にして醍醐寺の所蔵本である探要法華験記の排列と類似したことを確認したのである。
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