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에도후기희작의 작자연출방법에 대하여 ―『에이얏토잇쿠가사쿠』(屈伸一九著)를 축으로 ―

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A Study of the Framework of Syarebonn in the Late Stage

康志賢

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초록

일본어

本稿では『屈伸一九著』が十返舎一九の著作物の中でも、文学史的価値が高い作品であるにも関わらず、今まで翻字及び、綿密な分析さえ行われたことがないことに着眼し、江戸後期戯作の「作者演出の方法」を考究する橋掛りとして取り上げてみた次第である。 『屈伸一九著』の三年前に刊行した『十返舎戯作種本』で、一九はあたかも自分の失敗譚であるかのように自らを出演させることによって、戯作における創作の要素を表明した。それから、享和二年に一九は十三種の黃表紙を刊行、その中の九作に直接、或は間接的に出演するのである。それだけ作中で樣々な自己演出を試みることになるが、その中でも殊に『十返舎戯作種本』の戯作者の樂屋内話を全体的趣向として引き継いだ作品が『屈伸一九著』である。『屈伸一九著』は創作の新趣向産出に苦しみながら失敗を重ねる一九自身の樂屋内的話である。即ち、自らを戯画化するのに全力を尽したような作品である。ストーリのしまいの型は黄表紙誕生以来、使われ続け陳腐化した「夢」をまたもや利用しているが、一九は更に「古い」を「物尽くし」技法を以て弄び戯文化する。古い趣向であればこそ良いものである、と逆説して見せることから、彼の戯作者たる創作思想を垣間見ることができる。 黄表紙の最大量産作家であった一九は、自らを道化役として失敗譚の中に登場させることに躊躇しなかった。 戯作趣向の要素自体をテーマにして、その要素を悟るまでの愚行を告白したり、創作の苦しみを失敗と結び付けて吐き出したりする。 戯作上のフィクションであることを、読者たちも十分承知の上、自分の容姿さえ笑いの対象とする一九の大衆小説家としての徹頭徹尾たるサービス精神が読者をして親近感を覚えさせたのであろう。ミハイル·バフチンが「我らを笑わせる全ては、身近にあるものであり、喜劇的創造性は最大限近接した領域で発揮されるものである。」と言ったように、一九の「作者演出法」こそ、一般読者をして心置き無く笑うことができるようにしてくれるという、優れた効用性を持つ手法であったのである。

저자정보

  • 康志賢 강지현. 여수대학교 국제학부 조교수

참고문헌

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