원문정보
초록
일본어
本稿では、植民地下朝鮮で実際に教授法を提案し運用していた山口喜一郎を取り上げ、当時の日本語教育を言語イデオロギー論の観点から捉える従来の観点から離れて、日本語教育のありのままの実態の究明を試みた。 山口は朝鮮と非常に縁故の深い人物で、1937年に刊行された『文教の朝鮮』と1943年に刊行された『日本語教授法原論』とには朝鮮において行われている日本語教授法にたいする批判が披露されている。その批判は、朝鮮という方処的な特質を無視して行われている「内地」同様の「読み中心」教育に集中しており、その改善策として、まず会話能力を身につけさせること、つまり、音声言語を重視すること、それから読み、綴りが出来るようにするという手順の問題なのである。これは、日本語は朝鮮においてあくまでも外国語であって国語ではないという認識に基づいたものであり、言語の本質についての的確な理解に裏付けられたものでもある。 ただし、植民地下朝鮮において日本語常用化そのものが政治性を帯びざるをえなかったことは当然であったに違いない。それで支配を強めるために成り立つ日本語教育の目的は、支配イデオロギーとして意味付けられる。その支配効率化のための手段である「国語」の常用、つまり日本語常用は、支配体制や社会状況の変化に呼応するイデオロギーの形で展開する。さらに、実質的な意思疎通の問題になると、教授法による教育効果は、コミュニケーション問題として再展開される。このように、コミュニケーション問題とイデオロギー問題、両者は決して切り離して論じることは出来ないが、山口のような実践的な日本語教育者を通して結論を出せるのは、必ずしも理念と教授法とは一致しないということである。これは、相互緊張関係にあるということを物語っている。
목차
1. はじめに
2. 先行硏究および問題の所在
3. 山口喜一朗の言語敎育理論と日本語敎育の實踐
3.1. 山口喜一郎の略歴
3.2. 朝鮮の日本語教育現状と山口の言語教育論
3.3. 言葉の習得に関する山口の見解
4. おわりに
參考文獻