earticle

논문검색

『셋츄바이』와 『설중매』의 계몽주의― 남여 인물조형을 중심으로 ―

원문정보

Enlightenment in the "Setyubai" and "Seolchoongmae"

표세만

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

本稿では、日本の代表的な政治小説末広鉄腸の『雪中梅』(1886.8)と、その翻案小説で韓国新小説の代表作具然学の『ソルチュンメ』(雪中梅, 1908.5)とを比較した。『ソルチュンメ』は『雪中梅』の翻案小説であるため、その全体的枠組みや漸進的改良主義の趣向などは相似している。しかし、その作品世界を細かくみてみると、『ソルチュンメ』の世界は、極めて韓国的で、自己主張が強い作品である。特に、本稿はこの自己主張に着目し、政治小説と新小説の<啓蒙主義>を文学表現の問題として把握してみることにする。 両小説の題目「雪中梅」は、苦境を乗り越えて春を向かえる梅として、登場人物を喩えている。ところで、『雪中梅』と『ソルチュンメ』の梅は、それぞれ違う人物を現わしている。前者の梅は深谷梅二郎のこと、国野基という男の主人公であるのに対して、後者のそれはチャンメソン(張梅善)という女の主人公のことを指す。『雪中梅』は男性の、男性中心の論理に基づいた、漸進的社会改良を唱える。それは、女の主人公お春が作品の中で、男に負けずに展開している論理も同じである。しかし、『ソルチュンメ』は女性の改革、そして、その女性によって営まれる<家庭>の改良に作品全体の主眼が置かれている。この家庭は、『雪中梅』の国野やお春にとって、立身出世の妨げになる。しかし、『ソルチュンメ』のテスンとメソンにとって、家庭は社会改良の出発点であり、社会の基盤になる、社会改良においてもっとも重要な土台である。 このような両作品の差異が発生したのは、国会開設が既定の事実として約束された日本と、自主的外交の権利が剥奪され、まもなく植民地へ転落していく朝鮮という、相異なる作品の外延のためである。日本の『雪中梅』は漠然とした「政治参加」が主張され、観念的理念の世界が築き上げられている。それに対して、韓国の『ソルチュンメ』は切羽詰まった状況の中で、具体的実践運動への参加を呼びかけているのである。つまり、韓国の『ソルチュンメ』の時代に最も実践可能な運動が、他ならずして、家庭の啓蒙だったのである。そのために、『ソルチュンメ』が『雪中梅』の翻案であるにもかかわらず、全く異質な作品世界を作り上げているのである。

저자정보

  • 표세만 고려대 강사

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    함께 이용한 논문

      ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

      • 5,100원

      0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.